キテ「銛」の漁での使い方
4巻38話に、クジラを獲るためのキテという道具が登場します。アイヌに限らず北方の海獣猟を行う民族で広く使われている道具で、回転離頭銛(かいてんりとうもり)と呼ばれます。
この銛先は柄に差し込んであるだけで、獲物に刺さると柄から抜けてしまいます。そして銛先の真ん中に綱がつけられていて、刺さった銛先を綱で引くと銛先が獲物の体の中で90度回転し、横向きになってしまいます。そうすると、突き刺した穴より幅が広くなり、抜けなくなってしまいます。
そして、その綱で逃げられないようにしておいて、疲れ果てるまで舟を引き回させ、弱ったところをしとめるという猟法で、クジラの他に、マンボウ、トド、アザラシといった大型の海獣や魚の猟に適した猟具です。
5巻39話で、クジラにキテを打ち込んで引っ張られている舟の中で、白石が同乗しているアイヌに「いつまで乗ってりゃいいんだ?」と訊くと、「フンペ(鯨)が毒で弱るまでだ! あと一日か二日…運がよければ自分で岸に突っ込むかもしれん」と言われて、「帰っていい?」と返す場面があります。
名取武光「北海道噴火湾アイヌの捕鯨」には、1910年頃の長万部(おしゃまんべ)あたりでの捕鯨の体験談が載っています。
それによると、午前9時頃に現れたクジラに最初のキテが打ち込まれ、その後十数艘の舟から50~60本のキテが打ち込まれてもクジラは彼らを引き回し、いったん海底で動かなくなった後、次の日の朝の8時頃に突然グンと引いてキテの綱がブツンと切れ、ものすごい勢いで浜に突進して、海岸の砂の中に頭を突っ込んで往生したということです。
まだ日のあるうちにクジラが浜に乗り上げて、舟から降りることのできた白石は、大変運がよかったというべきでしょう。
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カジキマグロ漁の過酷さを伝えるアイヌの物語
「神謡」の中のひとつに、トゥスナパヌというサケヘ「リフレイン」を持つ、カジキマグロの話があります。
ある日、海の上で日向ぼっこをしていた私(カジキマグロ)のところに、オキクㇽミとサマユンクㇽがやってきて、自分の家に客として来てくれるよう丁寧にお祈りをしながら、キテを投げてきました。キテは私の体に刺さりましたが、そのまま私は舟を引きずり回し続け、ついにサマユンクㇽは疲れ果てて死んでしまいました。
すると、オキクㇽミは怒りを顔に現し、「このキテの銛先は鉄と骨でできているので、お前の腹の中から鉄を叩く音、骨を削る音が続くだろう。キテをつなぐ綱はイラクサでできているので、お前の体からイラクサの叢(くさむら)が生えてくるだろう。そして、柄はシウリザクラでできているので、お前の背中からシウリザクラの林が生えてお前は動けなくなってしまうだろう」と言い残して、去って行ってしまいました。
私はたかが人間の言うことと思って、腹の底で笑って聞き流していましたが、そのうちに腹の中から鉄を叩く音、骨を削る音がやかましく響き、背中からイラ クサやシウリザクラが林となって生えてきて、泳ぐこともできなくなり、浜に打ち上げられてしまいました。
するとカラスやキツネが集まってきて私の肉を食べ、私の体におしっこやうんこをひっかけました。そこにオキクㇽミがやってくると、私の上あごの骨を便所の底に沈め、私の下あごの骨を便所の踏み板にしたので、私は来る日も来る日もおしっこやうんこのくさいにおいを嗅いで過ごさなければならなくなりました。
だからこれからのカジキマグロたちよ。人間の言うことは素直に聞かなければいけないよ。
(金田一京助『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』1931年より、中川が要約)
オキクㇽミとサマユンクㇽというのは神謡によく登場する人物で、地域によってオキクㇽミはオキキㇼムイやオキキㇼマ、サマユンクㇽはサマイェクㇽなど、いろいろな呼び名があります。
ふたりとも一見人間のようでありながら、特にオキクㇽミは大変力のあるえらいカムイで、人間の味方をしてくれます。カジキマグロ漁というのはこの話のようにオキクㇽミも手を焼くほど大変危険な漁で、命がけで行うものだったそうです。
だから、カジキマグロ側にはこんな話が伝わっているのだとして、漁に出る人たちが少しでも自分たちを安心させようとしたのかもしれません。
神謡というのは女の人が語ることが多いものですが、このトゥスナパヌは男性の語った録音がいくつも残っていることを考えると、海漁をする男性によって語り継がれたものだったのかもしれません。