なぜ今の時代、「校正」が注目されるのか――。『kotoba』の人気連載「ことばの番人」がこのほど単行本に。その著者・髙橋秀実氏と、校正者で『文にあたる』の著者・牟田都子氏が、校正に関する思考、技術、エピソードなどについて語り合った。『kotoba』2025年冬号より、一部抜粋・再編集してお届けする。
書き手を潰さないのが校正者?
髙橋秀実(以下、髙橋) (牟田の手元にある付箋がたくさんついた本を指差して)私の新著を読んでいただいたとのこと。初対面にもかかわらず、いきなりお聞きしてしまうんですが、誤植はなかったですか?(笑)
牟田都子(以下、牟田) この仕事をしていると、著者や編集者とお目にかかったときの第一声がそれなんですよね。(校正として)お金を貰っていないときは、誤字脱字は拾いませんって言うようにしています(笑)。我々は仕事でゲラを読むのと「読者読み」を区別しています。
夫も同業者なんですが、読者読みだと(誤字脱字に)気がつかないよね、なんて話しています。
髙橋 この『ことばの番人』では「校正」の重要性を書いています。誤字脱字に気をつけろと言いながら、間違っている可能性もある。
そこで巻末の著者プロフィールの後に「誤字脱字を見つけられた方は、お手数ですが、集英社インターナショナルHPのお問合せフォームまでお知らせいただけますと幸いです」という一文を入れています。
牟田 誤字脱字があるかどうかというのは、校正(※)について書くときの一番の難関ですよね(笑)。
髙橋 私の文章は、まず妻が読んで、気がついたところを指摘してくれます。最初の校正ですね。彼女も20代のとき、原稿を書いていました。ワープロが普及する前、まだ手書きの時代です。校正ごっこじゃないんですが、お互いの原稿を読み合うということをやっていました。
私は彼女の原稿を読んで、「書き出しで引き込まないと」「展開が面白くない」「オチがついていない」、しまいには「取材が足りない」と言って赤字を入れた。そうしたら彼女は「じゃあ、あなたが書いて!」と激昂してしまって。
牟田 お察しします(笑)。
髙橋 私の指摘では、全面書き直しということになります。彼女の書き味を無視している。一方、彼女は基本、私の原稿を否定したりしません。面白いけど、こうしたほうがより面白いかもと、柔らかく指摘してくれるんです。彼女のほうが校正者の資質がある。絶対に書き手を潰さないのが校正者かもしれません。
牟田 校正の技術というのは、誤字脱字を見落とさない、漢字の形の違いに気がつく、言葉に詳しいという以上に、どこまで踏み込むか、かもしれません。ゲラに疑問があった場合、どこまで聞くのか、どういう聞き方をするのか。髙橋さんの言葉をお借りするならば、書き手を潰さないさじ加減、塩梅も技術の一つと言えるでしょうか。
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時代によって変わる「普通」
髙橋 私にとって、校正のありがたみというのは、最後まで読んでくれたということなんです。誰にも読まれていないものを印刷することには大変な恐怖を感じます。たとえゲラに直しが一つも入っていなかったとしても、校正者の眼を通っていると思うと安心できるんです。
私は、校正者の身体には「普通」というものが宿っていると考えているんです。だから、これは、普通の言い方ではありません、普通とは違います、ということを判断してくれる。
牟田 ここで言う普通とは、日本語を母語とする日本語話者の平均、標準でしょうか。校正者のやっていることは普通の物差しを当てて、はみ出しています、足りませんと言うことかもしれません。とはいえ、「普通」の人が観るようなテレビを観て、新聞や本を読んで、森羅万象すべてにおいて普通の程度を維持するのは、一人の人間では不可能です。
髙橋 「普通」は時代によって変わりますからね。
牟田 ええ、かつては「とても良い」という言い方はしませんでした。「とても」という言葉は本来、打ち消しや否定の表現を伴って使われる語だった。でも、今ではよく見る言い方です。普通の感覚として「とても良い」という言い方はありなのか、なしなのか。
普通の物差しが辞書なんです。迷ったとき、我々は国語辞典を引く。それも1冊ではなく、2冊、3冊と引く。国語辞典には保守的な立場をとるものもあれば、新語を積極的に採用するものもあります。その中で複数の国語辞典に載っていれば、普通だと判断する。読者から問い合わせがあったときも、辞書にこのように載っていますからと説明できます。
髙橋 校正者の境田さんは辞書は根拠であるとおっしゃっていた。根拠とするために、辞書だけで7000点、(最初の近代的国語辞典である)『言海』を270点も所有しておられる。
境田さんによると、同じ『言海』でも同じ発行年月日、同じ版であっても、印刷や製本の時期がズレていたりして、内容が異なっているそうです。
牟田 そうおっしゃっていますね。
髙橋 私は自分がちょっと普通でないという自覚があります。少しおかしいという感覚です。いつも普通に読んだらどういう疑問が浮かぶんだろうと気になります。
牟田 こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、本を書くのは普通でない方(笑)。普通でないから本を書くことができる。だからこそ本にする過程で普通の人の眼差しが入ることは大事だと思うんです。普通はその文章がどのような読者を想定しているかによって変わってきます。想定読者の普通にこの文章は合っているかどうか。