〈HIKAKIN進化論〉カップラーメン好きの「ビートボクサー」がYouTubeの帝王になるまで…進化とともに「長尺化」する動画の秘密

日本を代表するYouTuberの一人であるHIKAKIN(35)。その動画群に目を向けると、初期は1〜4分ほどだった尺が、いまや10分以上、1時間超えも当たり前となっている。13年前に始まった「Hikakin TV」が、ここまで動画の長尺化を遂げた理由とは?
35歳となった彼のキャリアを振り返ると、ビートボックスから始まった小さな動画が、一大「HIKAKINブランド」の誕生へと連なる、想像を超えた変化のストーリーが浮かび上がってくる。
 

初期の活動と「スタイル」の確立(2006年〜2011年ごろ)

「YouTuber」そのものが市民権を得た今としては意外かもしれないが、そもそもHIKAKINがYouTubeを始めたのは「ビートボクサーとして有名になりたい」という気持ちからだった。

小学生のときにフジテレビ系のTV番組『力の限りゴーゴゴー!!』内の人気コーナー「ハモネプ」で見たボイスパーカッション(ボイパ)に感動し、独学でビートボックスを始めた。

当時の日本にはボイパやビートボックスの情報がほとんどなかったため、彼は音だけが投稿されるマニアックな掲示板に参加し、顔の見えないビートボクサーたちと技術を磨き合っていたという。その延長線上で出会ったのが、2005年にサービス開始したYouTubeだったのだ。

初期のHIKAKINのメインチャンネルは現在(「Hikakin TV」)とは異なる「HIKAKIN」で、動画の内容は1分程度のビートボックス演奏が中心。しかし、現在のHIKAKINとは全く別のスタイルかというと決してそんなことはない。

彼の代名詞でもある「ブンブンハローYouTube」という挨拶や、今も時折差し込まれるビートボックス、そして動画の最後でチャンネル登録を促す歌など、当時からHIKAKINの動画にはミュージシャンとしての視点が活かされている。

なお、初期の代表的な動画は『スーパーマリオブラザーズ』のBGMをビートボックスで再現した「Super Mario Beatbox」で、現時点(12月10日)で5500万回以上の再生数を記録。

当初は日本人のYouTubeユーザーが少なかったこともあり、ほとんどの動画は英語タイトルで展開され、視聴者も海外ユーザーが多かったという。

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商品レビューと挑戦動画への進化(2011年〜2014年ごろ)

2011年はHIKAKINが「YouTuber」の存在を明確に意識し、そのキャリアを真の意味で歩み出した年だ。

そのきっかけは同年のYouTubeイベントで聞いた、アメリカのYouTuberミシェル・ファンの講演だった。

まだ「YouTuber」という言葉も確立されていなかった頃、アメリカにはYouTubeへの動画投稿で生活しているセレブがいることを知り、YouTubeが仕事になることに衝撃を受けたという。

そこからHIKAKINはVlogチャンネルという立て付けで新チャンネル「HikakinTV」を開設。商品レビューや食品の試食、チャレンジ企画などの新しいジャンルにも挑戦し始めていく。

最近本人がセルフオマージュ動画を投稿して話題になった「セブンの豚焼肉弁当が最強すぎる!」もその一つ。

他には「iPhone5を命がけでゲット!I Bought an iPhone5!」という、iPhoneを購入するために行列に並ぶ動画も時代を感じさせる貴重な資料であり、世間が共感しやすいネタや注目されている話題に飛び込んで「ネタ化」していくのは、現在まで続くスタイルと言える。

いずれの動画も3〜6分程度で、やはりビートボックスよりも長くなっていることがわかるだろう。

また、この頃のYouTube社スタッフのアドバイスのもと、定期的な動画アップロードやチャンネル登録の呼びかけを採用し、現在まで続くYouTuberの基本スタイルを確立させていったことも見逃せないポイントだ。

ちなみに筆者は2015年にすでにトップYouTuberとなっていたHIKAKIN氏にインタビューしたが、今思い返せばミシェル・ファンと出会った2011年からわずか4年でそこまで上り詰めていたのだから、驚くべき勢いだ。