「不良生徒は警察に突き出せばいい? サービス業に徹する学校や教員が求めた生活指導方針「ゼロトレランス」とは?

1994年アメリカで、当時のクリントン大統領が学校への銃器持ち込みの取り締まりのために始めた「ゼロトレランス」。最初は、秩序を乱す生徒への初期段階での毅然とした生徒指導方針だったはずが、いつしか成績の悪い生徒の退学や停学処分に悪用されるようになった。

書籍『崩壊する日本の公教育』より一部を抜粋・再構成し、日本にも持ち込まれた「ゼロトレランス」の是非を問う。

「ゼロトレランス」

「ゼロトレランス」を簡単に説明すれば、大きな秩序の乱れを引き起こさないよう、どんなに些細な学校規律からの逸脱行動をも初期段階で許さない厳格な生徒指導方針ということになる*1。

1994年、クリントン大統領が学校への銃器持ち込みの取り締まりにゼロトレランスを適用したのがきっかけだったが、またたくまに取り締まりの対象範囲や年齢が拡大された。

米教育省の見積もりで年間300万人もの生徒(幼稚園児から高校生まで)が教員への暴言、ケンカ、遅刻、制服の乱れなどの些細な逸脱行為で停学処分を受けるまでになり、手に負えない生徒は積極的に警察に引き渡されるようになった*2。

2002年、ジョージ・W・ブッシュ政権下で施行された「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Act)」が構築した学力標準テストによる教育の徹底管理体制は、ゼロトレランスによる生徒の停・退学率を劇的に増加させた。

「アドバンスメント・プロジェクト」らによる共同報告書は、その現象をこう説明している。

「生徒の点数を上げろという指令の下、学区、学校、管理職や教員らは結果を出すための重圧を受けている。このプレッシャーは、実際には、点数の低い生徒の転出や排除を奨励・促進するという歪んだ動機を学校に与えている*3」

一方で、そのような状況に違和感を覚える教員も少なくない。

南部貧困法律センターは、「絶望感を訴える教員や管理職もいる。以前は生徒の家庭に電話していた生徒指導の事柄も、今では警察を呼ぶことが義務づけられ、彼らは生徒同士が衝突を解決できるよう支援する代わりに、警察が生徒を逮捕するのを見ている他ない*4」と指摘する。

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福山におけるゼロトレランス

似たような状況は、日本でも確認されている。

文部科学省は2006年1月の時点ですでに、「経験豊富な教員の大量退職を迎え世代交代が進む中で、問題行動に毅然として対応し、生活指導等を通じて学校規律を回復させ、子どもの規範意識の育成に資するという生徒指導の側面について、その今後の在り方等を様々な観点から検討していくことは大変意義深いもの*5」との見解を示しており、同年6月には「児童生徒の規範意識の醸成に向けた生徒指導の充実について」という通知の中で、各都道府県教育委員会などに対してアメリカで広く実践されているゼロトレランスを参考にした生活指導を推進している。

それを受け、日本におけるゼロトレランスの「実験地」となった広島県福山市では、教育委員会が市内の各公立学校長に、学校ごとの生徒指導基準となる生徒指導規定などをあらかじめ整備させ、生徒の問題行動に「毅然とした対応」を求めた。

福山市におけるゼロトレランスの実態を調査した『「ゼロトレランス」で学校はどうなる*6』は、「別室指導」の名の下で行われる生徒児童の教室からの排除や、「警察等関係機関との連携」として行われる警察への通報と生徒児童の逮捕が拡大していったことを明確に示している。

世取山洋介は、その「はじめに」で、同書の元になった2016年11月に広島で開かれた全国交流集会「ゼロ・トレランスの今から、学校・教育を問う」の参加者の声を紹介している。

「『東広島スタンダード』は、児童館、図書館、地域センター、至る所に張ってあって、息苦しいです。こんな風に行動規律を押しつけると、子どもは本音を話せなくなります。子どもを締め付け、追いつめる。その抑圧に気付かない人が大半です。福山の保護者の方のお話に驚きました。

生徒指導の細かさ、理不尽さ、警察がサイレンを鳴らして学校に駆けつけ、衆目の中、生徒を逮捕していく……子どもたちはどれほど傷つき、絶望してしまうことだろう。今は、学校は子どもを守り育てる場ではなく、排除し、規制して子どもを締め上げていく場になってしまっている。まさに戦争前夜だと思います。子どもへの細かい規律押しつけ、指導は良き兵士育成そのままですね*7」