シリアで親子2代、50年以上にわたり実権を握ってきた、アサド政権の崩壊。11 月27日、シリア北西部イドリブ県を拠点とする反政府勢力が、シリア第2の都市アレッポに大規模な攻撃を開始し、12月1日に制圧を発表。5日に中部の都市ハマ、8日にはホムスと次々に制圧し、ついには首都ダマスカスの制圧となった。

 アサド政権を長年にわたって支え続けたのはロシアやイランだったが、ロシアはウクライナ戦争に武器や人員を割かれることから、アサド政権を支援する余裕はない。レバノンを拠点とする親イランのヒズボラはシリア経由でイランから支援を受けてきたが、イスラエルとの軍事衝突によって弱体化しており、こちらも余裕などない。アサド政権のあっという間の崩壊には、こうした背景があった。

 そして、今回のアサド政権崩壊を主導した反政府勢力は、「シャーム解放機構」(HTS)と呼ばれる組織で、もともとは2012年にシリアで結成されたアルカイダ系組織「アルヌスラ戦線」を前身とする。アルカイダが01年9月11日の米国同時多発テロを実行した組織であることは有名だが、アルヌスラは12年に隣国イラクで活動する「イラク・イスラム国」(ISI)の支援によって設立され、同組織の最高幹部アブ・バクル・アル・バグダディが、アルヌスラのトップにアブ・ムハンマド・ジャウラニを指名した。

 バグダディは、14年6月に台頭し世界をテロの恐怖に陥れた、あのイスラム国(IS)の創設者である。そのバグダディは、イラク・イスラム国と、このシリアで結成された組織を束ねて「イラク・シリア・イスラム国」(ISIS)として運営していこうとしたが、アサド政権の打倒を強く掲げるジャウラニはそれを拒否し、アルヌスラ単体で活動していくこととした。

 一方でジャウラニは13年にアルカイダの指導者アイマン・ザワヒリに忠誠を誓いアルカイダのシリア支部となったが、16年7月にアルカイダとの決別を発表。ジャウラニを指導者としたアルヌスラは複数の関連組織と合併し、17年1月にシャーム解放機構が結成されて今日に至る。

 最近、ジャウラニの姿はテレビや新聞でよく目にするが、シリア復興と発展を押し進め、諸外国との関係を強化したい狙いが鮮明に見える。今日、米国や欧州などもそれを歓迎する姿勢を示している。しかし、過激な政権を作らない姿勢を示しているジャウラニではあるものの、03年以降のイラク戦争ではアルカイダのメンバーとして米軍と戦い、イスラム国指導者とも密な関係にあった。つまり、そんな彼が方向転換してシリアがテロの温床となり、究極的には「第2の9.11」を企てる可能性も排除できないということだ。

北島豊

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