人が人でなくなっていく教育現場:「旭川中2少女いじめ凍死事件」を生んだ現代の生徒指導の在り方と、教員の「働き方改革」の問題点

「旭川14歳少女いじめ凍死事件」は凄惨ないじめが原因で起きた事件だ。その背景を読み解くと、現代の生徒指導の在り方と、「働き方改革」の問題点が浮かび上がってくる。

書籍『崩壊する日本の公教育』より一部を抜粋・再構成し教育現場が抱える闇を明らかにする。

旭川中2少女いじめ凍死事件

「小学校6年間を自由に過ごしてきた不良少年たちが次に求めたものは性でした。どれだけ同級生をいたぶっても自分たちに危害が及ばないことを6年間身をもって学んでいますから、彼らは躊躇なく抵抗のできない生徒をおもちゃのように扱っていきます」實川瑞樹(みのりかわみずき)さん(当時高校生)

この言葉を実証する凄惨ないじめ事件が、實川さんのエッセイが書かれた翌年、2019年に北海道旭川市で起きている。

後に、文春オンラインが「旭川14歳少女イジメ凍死事件*1」として報じているものだ。当時中学1年生だった少女が、自身のわいせつ画像の撮影を強要されたり、先輩や小学生が見ている前で自慰行為をさせられたりし、その画像が地元中学生らのLINEグループなどに拡散されたのだ。

全校生徒に流すからと脅された少女は、「死ぬから画像を消してください」と言い、川に飛び込んだという。目撃者の証言では、加害者の生徒たちはその様子を一斉にスマホで撮影していたというから常軌を逸している。

幸い、飛び込む直前に少女が「助けてください」とSOSの電話を学校にしていたため、駆けつけた教員らに助けられた。しかし、この性的ないじめがきっかけで彼女は学校に通えなくなり、別の学校に転校。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)も発症し、2年後の2021年3月に市内の公園で凍死した状態で発見された。家出の直前に、彼女から友人らの携帯に送られたメッセージには、自殺の意思が告げられている。そして、加害者の生徒たちは、何のお咎めも受けずに中学校を卒業していった。

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反省する機会も得ずに卒業していった加害者たち

記事で報じられたいじめの凄惨さもさることながら、私にとって最も印象的だったのは、反省すらできないいじめ加害者生徒らの姿だった。取材班は、保護者の許可を取った上で主犯格とされる生徒(取材時にはすでに中学校を卒業していた)らにインタビューしている。

被害者生徒の死を受けてどう思ったか、という質問へのA子の答えは記者を驚かせた。

「うーん、いや、正直何も思ってなかった」

一方、被害者生徒に公園で自慰行為を強要したB男は、その行為をいじめと認識しているかとの問いに、たった一言こう答えている。

「悪ふざけ」

学校の対応はどうだったのだろうか。B男は学校に5回ほど呼び出されたそうだが、「怒られるというよりは『何があったのかちゃんと話して』という感じだった」と言っている。

被害者の女子生徒は、ゴールデンウィーク中、深夜にB男に呼び出されて怖かったことを担任の先生に相談しようとしたが、「今日は彼氏とデートなので、相談は明日でもいいですか?」とあしらわれた。

また、被害者女子生徒の母親からいじめの調査を求められた学校側は、「わいせつ画像の拡散は、校内で起きたことではないので学校としては責任は負えない」と答えている。

そんな学校の対応について、「冷たい」と感じたり、「なんだそれは!?」と憤りを感じる読者は少なくないかもしれない。当然だと思う。しかし皮肉にも、政府が進める「働き方改革」のもとで評価するならば「100点満点」なのだ。

勤務時間外には教員は職員室への電話にも応えなくてよいし、勤務時間終了とともに留守番電話に切り替えられる学校がほとんどだ。

もちろん、週末に生徒から携帯に電話がかかってきても教員には対応する義務がないどころか、教員が生徒に自分の携帯番号を教えることを許している学校の方が珍しい。

画像の拡散だって、教頭の言う通り、学校外で起きたことなのだから本来学校に責任はない。ただ、本当にそれでよいのだろうか。

一つ強調したいのは、この学校では、自分のせいで14歳の少女が亡くなったかもしれないのに何にも感じない子、少女が死にたいと思ったほどの心の痛みもわからない、想像力の乏しい子どもたちが、反省する機会も得ずに卒業していったということだ。

新自由主義支配の下で教員は、「お客様を教育しなくてはならない」というジレンマを抱え、冒頭の實川さんの言葉を借りれば「抑止力」を失い、教育現場は「多種多様な悪行」がまかり通る「無法地帯」と化す。

そんな中、学校は失われた自らの威厳をどう補うのだろうか。その一つの答えが、「ゼロトレランス」による生徒指導のマニュアル化と警察への外部委託なのだろう。