ワッキーが役者兼プロデューサーとして名作舞台を再公演!! 「80年前のこの出来事を絶対に風化させてはいけない…」

かつての鹿児島県知覧町で「富屋食堂」を営み、戦時中に特攻隊員たちから“母”と慕われた鳥濱トメの半生を描いた舞台『Mother~特攻の母 鳥濱トメ物語~』が、2025年3月19日(水)~23日(日)に東京・新国立劇場小劇場で上演されます。この作品は2009年から2021年まで上演されていましたが、その後、中断。2013年からこの舞台に役者として参加してきたペナルティ・ワッキーが、今回の再公演からプロデューサーを兼務します。ワッキーは12月17日(火)に都内で行われた取材会に主演の浅香唯とともに登場し、作品への並々ならぬ思いを語りました。


出典: FANY マガジン

「熱くなりすぎちゃって、ごめんなさい」

ワッキーは、今回からプロデューサーに挑戦することになった経緯をこう語ります。

「80年前に実際にあったこの出来事を絶対に風化させてはいけないという、強く、清らかな思いで、役者として10年間、この作品に参加してきました。だけど実際のところは、“『Mother』をやるよ”と言ったらお客さんがワーッと集まってくる、という状況ではなかったんです。毎回、スタッフの方たちが一生懸命、集客をしてくれていて、それを5年前くらいから僕も手伝うようになりました。それを見た周囲の人たちが“ワッキーさん、プロデューサーやったら?”と勧めてくれて、じゃあ、そうしようかなと」

この舞台について「ずっと続いていく作品だと思っています。素晴らしい作品だし、実話だし、そこは自信があります」と力を込めるワッキーは、「熱くなりすぎちゃって、ごめんなさい」と少し照れた表情を見せました。


出典: FANY マガジン

一方、今回で3回目の鳥濱トメ役を務めることになった浅香は当初、ワッキーからのオファーを断ったと話します。

「私のキャラと鳥濱トメさんはイメージが遠いので、“私じゃないほうがいいよ”ってお断りをしたんです。でも、ワッキーの熱意に押されて、やってみようと思いました。トメさんの懐の深い“The お母さん”という感じに、どうすれば近づけるんだろうと模索して……。たとえば見た目やしゃべり方を近づけたとしても、いかにも芝居っぽくて、無理が出てくると思ったんですよね。だから正直、何も考えずに稽古に臨むようになりました」

そのうえで「私のいままでの仕事の中では非常に異色というか、なかった役なので、今回もまた新しいトメさんが自分の中から生まれてくるんだろうなと期待しています」と話しました。


出典: FANY マガジン

これを横で聞いていたワッキーは「やっぱりこの人でよかったなと思いました」と改めて確信した様子。

「トメさんの役は、演技がうまいとか、声がいいとかいうことよりも、“トメさんのような人”にやってもらいたかったんです。みんなを分け隔てなく平等に扱って、大きな心で、明るくて。浅香唯という人は、トメさんそのものみたいな人。かわいいから、とか、昔ファンだったから、とかじゃないんですよ!……かわいいんですけど(笑)」

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ワッキー自ら学校回りも

ワッキーによると、この作品ならではの“特別な稽古方法”があるとのこと。その稽古の様子を、こう説明します。

「特攻隊員役の人たちは、ふつうの稽古の1時間くらい前に集まって“教練”っていうのをやります。むかしの軍人さんたちがやっていた筋トレのようなもので、号令に合わせて動作をそろえたり、腕立て伏せをしたりします。でも、そんな動きは舞台の中には出てこないんですよ。ただ、当時の特攻隊員の方たちに少しでも近づきたいという思いで頑張る。そうすると、舞台上にその効果がにじみ出てくるんです」

その教練をしている若い役者を見ていると涙腺が緩むそうで、思わず「泣きそうになっちゃって……」とこぼしました。


出典: FANY マガジン

取材会では、ワッキーのプロデューサー業にも興味が集まりました。具体的な活動内容について、ワッキーはこう話します。

「スタッフの人たちと、スーツを着てたくさんの企業を回ったり、集客にあたって中学や高校を回ったりもして、地道な活動をしています。母校の市立船橋(船橋市立船橋高校)にも行かせてもらいました。いろいろな会議に参加することもあれば、社長さんに連れられてキャバクラに行ったりもしています。決して、キャバクラに行きたいわけじゃないですよ! 『Mother」のためなら、何の苦労も感じないんですよね」

そんなワッキーのプロデューサーぶりを、浅香が“主演女優”としてこう語りました。

「もともと私に声をかけてくれたのはワッキーさんだし、“唯さん大丈夫だよ”というワッキーさんの言葉を信じて舞台に立たせてもらってきたので、私の中ではずっとプロデューサーだと思ってきました。ワッキーさんもお客さん目線で見て、お芝居のアドバイスをくださったりするので、(再公演は)改めてプロデューサーにというより、プロデューサー業に営業の仕事が加わったのかなという感じです」