ワイドショーの構成作家として働く32歳の藤田拓也は、ある日、先輩の有名脚本家の推薦により、念願の脚本家デビューを果たすことに。浮かれた気分でいる拓也の前に、一人の女性が現れる。報道情報番組やバラエティー番組を制作してきたテレビ朝日映像が初めて手がけた長編オリジナル映画『ありきたりな言葉じゃなくて』が、12月20日から全国公開される。本作で主人公の新人脚本家の拓也を演じた前原滉に話を聞いた。

-前原さんといえば眼鏡がトレードマークみたいなところがありますが、重要な小道具として意識していますか。

 私生活でずっと眼鏡をかけて生活をしていたので、この仕事を始めるとなった時に、初めて眼鏡で印象が変わるということを考えました。でも、何種類も眼鏡を持っているみたいなこだわりはありません。眼鏡は役によって変えることもあれば、あとは監督の指示にもよりますが、何となくの雰囲気で決まっていくことが多い気がします。ただ、やっぱり皆さんが僕には眼鏡のイメージがあるみたいで、衣装合わせの時など「でも前原くんは眼鏡だしな」とかよく言われます。

-演じた藤田拓也という役の印象はいかがでしたか。

 誰もが「特別な者になりたい」という思いをどこかで持っていると思うんです。その意味では、拓也の、特別な者になりたいけどなり切れない、どこかから持ってきた言葉を使ってしまうところは、結構自分と近いと思いました。

-自分と近いと感じた分、取り組みやすかったですか。

 取り組みやすい部分とそうではない部分がありました。家庭環境など、細かいところでの自分との違いがたくさんありましたから。ただ、演じる人物が自分と遠い時の方が、役に寄せていくことができるのでやりやすい気もします。近いとどうしても自分の方に引き寄せてしまうんです。その方が楽なので。

-拓也は割と不用意にものを言ってしまって窮地に陥るところがあります。

 そうです、不用意です。でもそれは僕にもあるんです。何か今の話言わなきゃよかったみたいなことって。そういう意味でも、その時の感覚でしゃべってしまうところが、僕と似ていると思います。

-拓也は自分本位で未熟なところがあって、調子にも乗りやすいタイプです。反発はなかったですか。

 僕の場合は、何かいい仕事が決まったからといって、自分の中で喜ぶことはあっても、拓也のように人に話すことはしません。誰かに「聞いてください」と言えないというか、何かちょっと恥ずかしくなってしまうんです。だから、拓也ほどピュアではないのかもしれません。その役を演じるとなった時に、この人のことは理解できないと思うと演じられないので、彼は真っすぐなんだとか、言い方を変えることで、受け入れる体制を自分で作るところはあります。でも、「これってこうだよな」という目線は、どこかで持てるようにしています。何か許せないことがあったとして、ではその許せないことはなぜ起きたのかとか、許せないことをした人の気持ちまで考えるよう、演じるときは意識するようにしています。

-普段は俳優として脚本を読む側ですが、今回は書く側を演じてみてどんな感じでしたか。

 俳優の仕事は、どちらかというと1という数字を何かにしていく、1から100の間の仕事だと思います。ある素材をどう調理していくというか、どういうふうに仕上げていくかで、1から100を担っているのが、俳優や、録音、照明、撮影といった仕事だと思います。それに比べて、脚本を書くのは0をどういう位置に持ってくかの作業だと思います。例えば、僕が「こういう台本があります。どう演じますか」と言われた時に、誰もが見たことがあるようなありきたりな表現になりがちです。ではどうやってそうではないものにしていくかと考えても、もうこれだけ多くの作品があってやり尽くされていたら、絶対にどこかで見たことがあるものになるだろうなという悩みを持つわけです。今回は、「では脚本家だったらどういうふうに悩むのだろう」と考えて変換して演じたところがあります。だから、脚本家と俳優は違うけど、それこそ拓也という役を通して見た時に、持っている悩みは似ているのかもしれないと思いました。

-言葉がとても重要な意味を持つ映画だったと思いますが。

 拓也のものの言い方が変だなと思うところはありました。でも、ではどこまでいったら不自然じゃないのかと言ったら変ですけど、映画やドラマは作られたものだから不自然でもいいと思うんです。それでも、(渡邉崇)監督と僕の中で、許せる範囲ってどこなのだろうとかを話し合いました。

-主役と脇役の違いについてはどう思いますか。

 僕の場合は、主役じゃない役の方が多いので、求められる役割がはっきりしているんです。例えば、ここは面白くしてほしいとか、主人公をすごくけなしてほしいとか。今のところ自分の中ではやっていてそんなに大きな負担はないです。主役の場合は、例えば、この人は面白いことをやってくる、この人は自分のことをけなしてくる、この人は温かい言葉をかけてくれるというのを全部受けて出さなければなりません。それをやりたくないとは思いませんが、今までの経験値として、けしかける方が多かったので、主役じゃない方がやりやすいかなと。でも、どちらもバランスよくできたらいいというのが結論ですかね。

-それでも、やっぱり主役はいいなと思う部分もあったりするわけですよね。

 やればやるほど、主役も脇役もあまり変わらないのかもしれないと思います。例えば、さっき言ったような主人公をけなす役の人でも、少なくともけなしている時はその人が主役の瞬間があるというか。一つの作品における主役かどうかは、スポットが当たる瞬間の頻度の違いだけだと。そう考えると主役も脇役も大きくは違わないと思っています。今回もそれは思いました。

-現場での出来事で印象に残ったことはありましたか。

 スタッフの中には映画製作の現場が初めての方も多くて、まるで全員野球のような現場でした。だからこそいろいろなことがありましたが、いろんな人がいて楽しかったです。一番印象に残ったのは、タクシーの走行シーンが最後の撮影だったのですが、タクシーの行灯が移動している途中でなくなってしまったんです。すると現場にいるスタッフが力を合わせて、文房具とか手持ちの道具を使って似たものを作り始めて。それを見た時に、これはこれですてきな出来事だと思いました。

-印象に残ったシーンは?

 拓也と両親(酒向芳、山下容莉枝)とのシーンがすごく好きでした。お二人ともすごく温かくて。変に作らなくても、あのお二人がいるだけで家族の雰囲気になれたというのは、僕の中では印象的なシーンでした。

-最後に、読者や観客に向けて一言お願いします。

 ファンタジーでも、派手な物語でもありませんが、人によってはとても身近なものとして心に響くものがあると思います。物語の展開を楽しみながら、登場人物の誰かに共感できると思います。僕個人としては、少なくとも出し切ったつもりでいるので、どういう方に見ていただけるのかとても楽しみです。決して派手な映画ではありませんが、見終わった後にいろいろと考えることができると思います。

(取材・文・写真/田中雄二)