奈良教育大附属小「不適切指導」事件のその後…生徒を知る現場の教員より文科省の通達が大事?「あんたは正しいだけで心がない」と言いたくなる「ふてほど」教育の実情

教育の現場に介入し、マニュアル的な教育を押し付けようとする行政と、子どもにとってのベストを考える教育現場との対立が明らかになった奈良教育大附属小学校の「不適切指導」事件。2024年の流行語にもなったドラマ、『不適切にもほどがある!』にも言及しながら、実態なき正義に晒されてしまう教育現場の不憫な様子をレポートする。

本記事は書籍『崩壊する日本の公教育』より一部を抜粋・再構成したものです。

奈良教育大附属小学校「不適切指導」事件(『クレスコ』2024年4月号)

「奈良教育大学附属小学校では、今年(2024年)1月に、学習指導要領に基づく授業時間が不足するなど、不適切な指導が明らかになりました」

ネットやテレビでそんな報道を目にしたのではないだろうか。国が定めている、教えるべき内容を奈良教育大附属小(以下、附属小)では教えていなかったことが発覚。新任の校長が教職員に是正を求めたが受け入れられなかった……。そんな内容を聞いたら、それはダメだよね、となるのが普通なのかもしれない。

実は、「不適切指導」が指摘されている附属小には、私は少しだけご縁がある。ちょうど1年前の2023年4月に、附属小の教員研修に講師として招かれたのだ。

講演を引き受けた時、「どんな学校づくりをしたいか」を綴った教員たちの文章がメールで送られてきた。聞こえてきたのは、「評価」という名の行政介入に苦しむ教員たちの願いだった。一人の教員はこう書いていた。

「わたしたちは、ただ子どもたちのために教育をしたい、それだけだ。子どもをすこやかにかしこくしたい。子どもが主人公の学校でありたい。目の前の子どもたちを一番知っているのは私だし、一番知りたいと思っているのも私だ。子どもを知らない誰かのいうことではなく、子どもたちを見て子どもたちとともに授業をつくりたい」

教員たちの声を聞き、彼ら彼女らの綴った実践録*1から私が感じたのは、附属小には、目の前の子らのニーズに合わせて最善を尽くす教育のプロたちがいて、自らの頭で考えることのできる子どもたちがちゃんと育っているということだ。

そして、それをわかっているからこそ、保護者たちは教員を守ろうと署名活動まで始めたのだ。

今回の事件は突き詰めれば、教育現場への介入でマニュアル的な教育を押し付けようとする行政と、子どもにとってのベストを考え、上からの圧力に抗う教育現場との対立なのだと思う。

文科省の支配が全国隅々の公立小中学校にまで行き渡ったところで、従来は研究・実験的な役割を担ってきた国立大学附属校にまでその触手が伸びてきたのだ。

実際、附属小の件が発覚してすぐ、文科省は全国の附属校を置く国立大学に通知を出し、ガバナンスや学習指導要領遵守の状況などを点検するよう求めている。

だからこそ、これを許せば他の国立大学附属小中学校にも影響が及ぶのは間違いないし、私立校にまで波及するかもしれない。そうなれば、子どものニーズが多様化する今日、その受け皿となり得る教育の多様性は失われてしまう。

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「法令違反」という言葉が一人歩き

多くの人は、メディアが垂れ流す報道を鵜呑みにする。「そういう決まりだから」「政府がそう言っているから」という理由で、常識を問うこと、考えることを放棄する。そうやって人は思考停止に陥り、マニュアルに従うことが「正義」となり、社会そのものがマニュアル化されていく。

奈良教育大学学長が会見で謝罪した「法令違反」という言葉が、メディアに拡散され一人歩きする。そんなことがあったのか、そりゃひどいね、と。一方で、附属小の実践を知る者、今日の教育のゆくえに危機感を抱く専門家は声を上げる。

大阪大学の髙橋哲は、おかしいのは、学習指導要領の法的性質を「大綱的な基準」のみと限定した最高裁判決に反し、あたかも学習指導要領を法規のごとく扱い遵守させようとする文科省の方だと指摘し、千葉工業大学の福嶋尚子は、「子どもたちの教育を受ける権利を十全に保障するには、子どもたちに相対する教師の教育権と教職員集団の自治が十分に確保されている必要があるということは、戦後日本の教育行政の大原則だったはず」と、今日の職員会議の形骸化に疑問を投げかける*2。

奈良教育大学は、附属小の現在の専任教員の約半数を、籍を残したまま出向させ、3年以内に復帰させるとの方針を打ち出している。しかし、上記のような指摘を鑑みれば、それらの教員の出向を阻止することをきっかけに、もっと大きな展望も見えてくる。

私たちは声を上げることで、学習指導要領の「大綱」としての法的位置づけと、目の前の子どもを中心に教育課程を柔軟に編成するために認められているはずの現場裁量の認識を、社会で広く共有する機会にしなくてはならない。

そして、校長の権限を強め、教育現場における民主主義を奪った職員会議の形骸化にスポットライトを当てるチャンスにしなくてはならない。

「子どもが主人公」の学校をつくりたい……。そんな願いが広く共有されますように。そう願う教員が、処分されるのではなく、大事にされる社会でありますように。

【追記】
2024年4月、奈良教育大学は3名の教員の出向、2名の配転を強行した。同年6月、出向を命じられた3名の教員は、大学の設置法人である奈良国立大学機構を奈良地方裁判所に提訴。「奈良教育大附属小を守る会*3」などの有志が立ち上げた団体が支援している。

裁判の行方に注目したい。