元日本代表FWの大久保嘉人氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。川崎フロンターレ時代を振り返った。
2012年のヴィッセル神戸退団後、海外移籍を希望したが上手くいかなかったところに、川崎からオファーが届いた。関東のチームは考えていなかったが、移籍を決断する。
「嫁が『絶対に行った方がいいよ。そうしないと絶対、大久保嘉人という名前が忘れられるよ』って言って。それで決めた」
31歳になるシーズンで、得点を最優先するために工夫した。神戸では中盤でもプレーしていたこともあり、味方から声がかかるとパスを出す習性がついていた。
「絶対、この1年、ダメだったらクビになるし、俺の行くところはもうなくなるから、最後と思って自分が思ったことを決断しようと。シュート打つって決めたら、絶対に打つ。だけど声を出されたら出しますから、周りに『絶対、お前声出すな。声を出さなくても出せると思ったら出すから、とりあえず走っとけ』と言っていた」
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アシストをしてもゴールを取らないと認めてもらえない。そんな想いで13シーズンに臨んだ大久保氏は、自己最多の26点を挙げて得点王を獲得する。きっかけは、J1第2節の大分トリニータ戦(1-1)のゴールだったと振り返る。
「ホーム開幕戦で1点目を取れたのは大きかったですね。そこの自信。俺はまだ取れるんだって」
その後、大久保氏は14年、15年にもゴールを量産し、Jリーグ史上初の3年連続得点王に輝いた。当時、風間八宏監督が指揮していた川崎のサッカーと相性が良かったと回想する。
「ハマりましたね。風間さんのやり方はめちゃくちゃ面白かったので。周りもみんな上手いですし。この人たちがいればパスも出してくれる。気が遣える選手が、めちゃくちゃ多かったんです。僕の性格も分かっているから。ボールを触りたいタイプなので『とりあえず触らせないと、あいつイライラするから、触らせよう』みたいな感じで出してくれる」
そんな日々を「めちゃくちゃ合いましたね。本当楽しかったです」と懐かしんだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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