食品メーカー時代25でラッパー挑戦後、フォロワー104万人の料理研究家になった話。ヒカルの親戚。

食費や手間を最小限に抑えた「仕事や家事で忙しく働く人の為の簡単時短レシピ」をInstagramで発信し、幅広い年齢層から支持を集める料理研究家、もあいかすみさん。「#働楽ごはん」というハッシュタグがつけられた投稿はどれも色鮮やかで、食欲をそそるものばかりです。

テレビドラマ『西園寺さんは家事をしない』(TBSテレビ系)に登場したレシピの監修を担当し、大手食品メーカーや各種Webメディアでも日々さまざまなレシピを提供。2024年8月には待望の第一子を出産し、公私ともに変化を止めることなく邁進されています。

そんなもあいさんは、もともとは食品メーカーの営業職としてはたらいていましたが、とあるきっかけで「平坦な人生を変えたい」と決意を固め、数々の挑戦を重ねてきたといいます。実はYouTuberヒカルさんの親戚でもある彼女。平凡なOLからフォロワー104万人の人気料理研究家に転身するために、もあいさんが大切にしてきたことを、挑戦の軌跡から紐解きます。

美味しい料理が大好きな人生。食に携わる仕事を目指して、食品メーカーに入社

──お手頃・お手軽な美味しいレシピを発信し、たくさんの方々から支持を集めているもあいさん。幼いころから料理がお好きだったのでしょうか?

どちらかというと、料理をするよりも、美味しいものを食べるのが大好きな幼少期でしたね。物心ついたころから食いしん坊で、台所に立つ母のお手伝いをしながら、美味しい料理ができる過程を楽しんでいました。母が栄養士だったので、幼少期から食育に力を入れていた家庭だったのかもしれません。

大好きな食をもっと極めるために、大学では栄養学科に進学しました。料理に対する関心が高い学生が集まっている環境の中でも、私は群を抜いていたように思います。今でも食への執念は変わらずで、美味しいものを口にした途端分かりやすいほど上機嫌になるし、出産のための里帰りでも、母の料理に横からアドバイスして煙たがられるくらいです(笑)。

──食への愛がひしひしと伝わってきます。大学卒業後に食品メーカーを進路に定めたのも、好きが高じた結果でしょうか?

そうですね。大学3年の就活の時期になり、自己分析をしてみても、自分にとって絶対ブレない軸だと確信できたのはやっぱり食でした。自分が考えたレシピでたくさんの人に美味しいものを食べてもらいたいという想いから、調味料を製造している食品メーカーの業務用営業としてはたらき始めたんです。

──業務用営業とは、どのようなお仕事なのでしょう?

簡単にいうと、レストランや居酒屋など、飲食店の開発部へ自社の商品を売り込みに行く仕事です。「自社商品の調味料を使ったらこんなお料理ができますよ」と一緒にメニュー提案もするので、自分の考えたレシピを人に食べてもらうという理想がかなうファーストキャリアだったと思います。

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やりたい仕事ができているのに、退屈な日々。背中を押したのは、同期のM-1出場

──そこからキャリアチェンジを考え始めたのはいつごろでしょうか?

モヤモヤを感じ始めたのは、業務用営業職としてはたらき始めて3年が経ったころでした。入社1〜2年目までは覚えることもたくさんあって、毎日刺激的な社会人生活を送ることができていたと思います。でも飽きっぽい性格なのもあって、3年目には「今後も同じことを繰り返していくのか?」と違和感を覚えるようになっていたんです。

午前中はレシピを考えたり試作をしたりして、午後にはお客さまにサンプル品を試食してもらいながら商談をして……。大学時代から思い描いていた仕事ができているし、9〜18時ではたらいて定時で帰るホワイトなはたらき方をしていました。

それでも物足りなさを感じたのは、自分の将来設計を考えた時にギャップを覚えたからだと思います。もっと自分の実力を試せる環境に身を置いてみたい。そんなふうに感じるようになりました。

──ホワイトな仕事環境からキャリアチェンジをするには、それなりの覚悟が必要だったと思います。もあいさんは昔から挑戦志向な性格だったのでしょうか?

どうなんでしょう、母が安定志向なタイプだったので、その影響を受けて学生時代からはたらき始めるまでは安定的な生活を好んでいたかもしれませんね。

今の環境でもそこそこ居心地はいいし、不満はないけれど、成長実感は得られない。だからといって、新しいことに挑戦する勇気はない。モヤモヤしているものの、動き出すのは怖くてくすぶっている……そんな状態でしたね。

学生時代って、将来の夢もどんどん浮かんでくるじゃないですか。大人になったらなりたい自分になれるものだし、我慢せずに自分の意志でいろいろなことができるようになるって、根拠もないのに確信できていて。

でも、社会人3年目にして、「このままなんとなくすごしていても、なりたい自分になれない」って気付いてしまったんだと思います。

──キャリアチェンジに向けて動き出すのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

転機になったのは、仲の良い会社の同期2人が『M-1グランプリ』に出場したことです。予選当日、仕事を終えた後にさっと打ち合わせして、漫才の練習もほとんどせずにその足で予選会場に向かってネタ見せをしたので、第一回戦で敗退してしまったんですけど(笑)。予選会場で私はマネージャー的なポジションで、その姿を見守っていました。

プロの中に1組ド素人が紛れ込んだ状態だったので、きっとスベりまくるだろうし、どうやって励まそうかと思っていたんです。でも実際は、その素人感がむしろおもしろさを誘うという逆転現象が起きて、結構ウケていたんですよ。審査員の方からもイジられていて、ある意味きちんと爪痕を残していました。そして、予選後に打ち上げにやってきた2人はものすごくキラキラして見えたんです。

当時の私は転職活動をしてはいましたが、結局は冒険することなく、もとのスキルを活かしやすい食品メーカーに絞っていました。心のどこかで、「このまま転職してもこのモヤモヤは解消されない」と分かってはいたんですが、かといって新しいことに挑戦する勇気もなかった。でも、彼らの姿を見て、「なんでもいいから今まで勇気がなくてできなかったことに挑戦してみよう」と背中を押されたんです。