2024年度(1月~12月)に反響の大きかった35歳のリアル記事ベスト5をお届けする。第1位は、4年間の結婚生活に終止符を打った35歳の女性に直撃した記事だった(初公開日:2024年11月4日)。35歳の節目に離婚を決意し、4年間の結婚生活に終止符を打った大阪府在住の女性(35)。新たなステージへと人生の駒を進めるに至った経緯や率直な今の心境を聞いた。
「結婚生活のスタートは、同時に闘病生活のスタートだった」
35歳の節目となる今年、4年間の結婚生活に終止符を打ち、新たな人生のステージへと進むことを決めた大阪府在住の女性・モモナガさん(仮名)。30歳で結婚した2歳年下の男性と離婚が成立して半年、再び独り身に戻った今の心境を聞いた。
「『35歳バツイチ・一人暮らし』って状況に、怖さを感じています。周りの友人はキャリアを積んで子育てもしている。それに対して今の私はどちらもまったく無縁の境地にいるなって、すごく孤独ですね。
それに一度離婚を経験すると、新しい恋愛も怖い。また人を純粋な気持ちで愛せるのかなとか、好きな人ができても他人と一緒に暮らせるかなとか不安な気持ちが大きくて、今は再婚っていうのは考えられないですね」(モモナガさん、以下同)
東京の大学を卒業後、実家のある大阪に戻り、水族館や飲食店のバイトをしながら、四国のお遍路や東南アジアにバックパック一つで一人旅するなど、自分の興味の赴くままに20代を過ごしたモモナガさん。
「30歳」という年齢を強く意識するようになった27歳の頃、「手に職をつけよう」と福祉関係の資格を取得し、プライベートでは「30歳までに結婚して子どもが欲しい」という思いから、本格的に婚活を始めた。
当時、そこまで主流でなかったマッチングアプリに登録し、そこで初めて出会ったのが、2歳年下の介護職員の男性。それが、元夫だった。初デートで告白され、交際を開始。交際中は別れの危機もあったというが、同棲半年を経て30歳の時に結婚。お互いの勤務地の中間地点となる兵庫県西宮市で新婚生活をスタートさせた。しかし、そこからはモモナガさんにとって苦悩の連続だった。
当時はコロナ禍で、障がい者施設の生活支援員として勤務していたが、疲労が取れず、微熱や倦怠感にたびたび襲われた。職場を前にすると動けなくなって早退を繰り返した。心療内科を受診し、「適応障害」と診断されたことで3カ月の休職に入ったが、症状は一向に改善せず、そのまま退職した。その後、改めて受診したところ「双極性障害」であることが判明した。
「私にとって結婚生活のスタートは、同時に闘病生活のスタートでもあったんです」
夜間中は突然の発作に襲われて泣き出したり、感情のバランスが取れずに家を飛び出してしまうこともあった。そんなモモナガさんのため、元夫は夜勤のない職場に転職し、いつも優しく寄り添ってくれた。
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病気と生活環境のズレ、妊娠のタイムリミットも意識
しかし、そんな優しい元夫となぜ離婚という結論にまで至ってしまったのだろうか。
「一番はお互いの求める家での過ごし方がまったく異なるという点でした。私は病気の症状もあって、家では静かに過ごしたいんですが、多趣味な夫は、音楽やゲーム、ラジオと、自分の好きなコンテンツを一気に浴びることが家でのリラックス方法だった。
この生活環境が、私が体調管理をする上で負担になっていると気づき始めてからは、『音量を絞ってほしい』とお願いしたり、生活スペースを分けて一人で過ごせる場所を作ったり、色々と努力はしたんですけど、やっぱりダメでした。それを認めるまでに時間はかかりましたが、次第に別居や離婚を考えるようになりました」
離婚が脳裏をかすめ始めたのは、もう一つ理由があった。子どものことだ。
結婚当初はお互い子どもをもうけることを夢見ていたが、病気を患ってからは、体調が整うまで妊活は一旦中断していた。しかし、なかなか病気が改善しないことへの焦りに加え、夫との結婚生活での不安が募る中、34歳になった昨年、妊娠へのタイムリミットをリアルに考え始めたという。
「最初は別居したいと伝えたんですが、お互いの年齢を考えたとき、別居しながら婚姻関係を続けても子どもができるわけではないし、それでいいのかなと考えました。夫も32歳でまだやり直せる年齢。私自身もここから病気が回復し、人生を立て直せるんだとしたら、今引き延ばすべきではないと思いました。
将来的に産めるかわからないし、持病もあって育てられるかもわからない。今この人と別れたら、この先ずっと独りで生きていく人生かもしれない、子どもを持たない人生になるかもしれないって葛藤はあったんですけど、まずは今の自分にとって少しでも安心して自分らしく過ごせる生活を取り戻すことを優先しました」
何度も話し合いを重ねた結果、35歳となる今年5月末、正式に離婚が成立した。