日本人初のヘビー級世界王者の夢を担うボクサー・但馬ミツロ。カリスマだったアマ無双時代、五輪断念、ジムが大金を準備して獲得した超新星の素顔

実戦練習では全員1R持たず倒された    

部員との実力差ゆえに、ミツロがいざ実戦練習をすれば、全員が1R持たずにボディ等で倒された。

「一応ウェルター級の自分がいくらミツロの顔や腹を打っても、ノーガードにも関わらず一切効かないんです。一方でミツロから攻撃をされれば、ボディを含め毎ラウンドダウンを取られてましたね。失神したこともあります。本当に強かったです」(河口氏)

河口氏も岡澤氏も「決して弱い者をいたぶるような態度ではなかった」と口をそろえる。ただ、そんな彼のパーソナリティについて、当時の監督代行・伊藤氏は「彼の気の小ささが関係しているのでは」と話す。

「ミツロは弱い相手に対してはどんどん攻めることができる一方で、気が小さいところもありました。一度、帝拳ジムさんから村田諒太選手とのスパーリングを打診されたことがあったとき、ミツロに尋ねると、『とてもとても…』と即座に断ってしまった。私はもったいないな、と残念に思ったのを覚えています」(伊藤氏)

2014年に続き、2015年もミツロは国体・全日本選手権を連覇。彼の無双状態は続くが、一方で体が大きくなりすぎたミツロは適正階級がなく、団体戦である大学リーグ戦には出場していない。部内の精神的支柱でありながら、チームのために戦う場はない。我が道を行く「孤独」の輪郭が色濃くなってきたのは、この頃からだったのか。

「卒業後にミツロに連絡は取ってませんね。同期のLINEのグループもいつの間にか抜けちゃっていて」(河口氏)

2016年のリオ五輪は肩の怪我と国籍変更の手続きがうまくいかず断念。国籍がネックとなり国際大会への出場も叶わなかった。2017年卒業後は福井県職員に所属し、スポーツセンターで誰ともスパーリングもできないまま一人練習を重ねていた。

2018年の福井国体、実戦練習ゼロのまま約2年ぶりの公式試合に出たミツロは、全試合圧勝して優勝。しかしその後、東京五輪への道は歩まず、2019年にいくつものジムのスカウトを断り、故郷・名古屋にある緑ジムの松尾会長とプロ契約を結んだ。

ミツロはプロ入りに際して、緑ジムを選んだ理由をこう話している。

「松尾会長の人柄と、母親がいる地元の近くにいられることが第一です」

#2「親同然の会長との決別」につづく

取材・文・撮影/田中雅大