独身フリーライターの桑原カズヒサ氏は、還暦を間近に控えた58歳のときに予期せず大学病院で発達障害の宣告を受ける。レギュラーの仕事も失い、酒に溺れ、現実から目を逸らす日々で、彼がいちばん辛かったこととはなんだったのか……。
発達障害診断より辛かったことは…
胸の中心を刃物で抉られるような痛みが走る。目を開くと窓から朝日が差し込んでいる。
2024年の前半は、いつもこんなふうに目覚めていた。
コロナ禍でレギュラーの仕事を失った矢先に、大学病院でまさかの発達障害宣告を受けた。予想外のことが立て続けに起こり途方に暮れた。
しかもそのとき、僕はすでに還暦間近の58歳。
今年になっても経済状況は改善しなかった。体調も悪化の一途を辿り、心因性胸痛に悩まされる日々が続いていた。
この間、いちばん辛かったのは診断結果を告げた友だちが次々と音信不通になったことだ。
大学の同級生の中で唯一連絡を取り合っていた、出版社勤務の友人に相談を持ちかけると「こちらも毎日忙しく疲れています(中略)はっきり言って連絡もらうのは迷惑です」というメールが届いた。
頭の中が真っ白になった。彼は僕のいちばん古い友だちだったのだ。
他にもふたり、過去には一緒に野球観戦したり、英会話教室に通ったりしたことのある友だちとも連絡がとれなくなった。
僕はもともと友だちが少ない。彼らはそんな僕が、最も頼りにしていた人々でもあった。
皆、中年の男性サラリーマンだった。彼らが去っていき、仕事とは無関係に知り合ったプライベートの友人はゼロになった。
それは発達障害の診断より辛いことであり、ただただ途方に暮れるしかなかった。
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「頭に誰かが捨てていったガラクタが詰まっているようだった」
せめて、もう少し若ければと思った。
レギュラー仕事を失ったこともあり、30年以上続けたライター業が自分に向いているかも疑わしくなってきた。
学生時代や20代のうちに発達障害に気づいた人が、自分の適性に合った仕事を探して天職に巡り逢えた事例をネット記事で読んだが、今の僕に自分探しをしている余力はとてもではないが、ない。
将来について考えると、ベッドに横たわっていても恐怖で脚がすくんだ。
気がつけば就寝前に睡眠導入剤と酒を同時に飲むようになっていた。胸痛と飲酒は関係しているようだった。
医者には何度も止められたが、それでもやめられなかった。
こんなことをしていたら寿命が縮む。素人でも分かることだ。でも、その頃の僕はそれでもいいとさえ思っていた。
生活費を捻出するために原稿を書き、単発のアルバイトをする。今はとにかく凌ぐしかない。
それ以外、何も考えられない。
頭に誰かが捨てていったガラクタが詰まっているようだった。
そんな中、東京で開催された「発達障害当事者会フォーラム2024」に参加して、初めて多くの当事者と話す機会を得た。
参加者は皆、若く、どうみても僕は最年長だ。
関西で当事者グループを主宰している男性に、発達障害診断を伝えたら友人が離れていったと告げると「あぁ、それ発達障害あるあるですね」と言われた。
彼曰く、多くの当事者が似たような経験をしている。「それ、かえってよかったんですよ。今あなたの周りに残っている人が本当の友だちだと分かったでしょ」
彼の言葉を聞いてハッとした。この間、すべてを失った気になっていたが、そうではなかった。
僕の周りには手を差し伸べてくれる友だちも確実に存在したのだ。