ダンプ松本 (C)週刊実話Web

自身が主人公のNetflixの配信ドラマ『極悪女王』が大ヒット中のダンプ松本に本誌が直撃。

作中でも描かれた“敗者髪切りデスマッチ”に対する思いや、熱狂に包まれた当時の女子プロレスブームの裏側などを語ってくれた!

――全日本女子プロレス(以下、全女)の熱狂を描いたNetflixの配信ドラマ『極悪女王』が大人気です。

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松本「全女のことを知らない若い人から声をかけられますね。ただ、年配の方はNetflixの入り方が分からない。『ビデオで売ってください』とか言われます(笑)」

――ドラマの内容に何かリクエストはされましたか?

松本「何もないです。どんなドラマになろうが、話題になればそれでいいから。すべて任せっきりです。この作品のプロデューサーを務めた鈴木おさむさんのお店で飲んだときに、おさむさんから『極悪同盟(以下、極悪)がメインのドラマもあってもいいよね』という話をされて。以前も似たような話があったんだけど、実現はしなかった。でも、先輩レスラーのジャンボ堀さんがおさむさんのお店で働いてることもあって、トントン拍子に話が進んで。みんなに感想を聞くと、話が進むにつれて自然にドラマに入り込んで、知らないうちに涙が出ていたと。そこは女優さんたちの頑張りのおかげだし、監督さんがちゃんと感動できるものに撮っていたから大ヒットしたんじゃないですかね」

――作中では極悪と抗争を繰り広げたクラッシュ・ギャルズ(ライオネス飛鳥&長与千種)のほかに、全女オーナーである松永兄弟(次男・健司、三男・高司、四男・国松、五男・俊国)も強烈な存在感でした。

松本「実際の松永さんたちは、もっとひどかったから(笑)。斎藤工さんが演じた俊国マネジャーは、若いときは実際にかっこよかったし、男気もあった。阿部(四郎)ちゃんは悪徳レフェリーってことで嫌われていたけど、ホントにいい人。自分らヒールは、常にファンから嫌われるようにやっていた。気が抜けるのは、極悪のメンバーと一緒のときくらい」

――全女の後輩レスラーから「ダンプさんにイジメられた」とか、嫌な話が出てこないんです。ダンプさんは極悪の後輩をかわいがっていたんですね。

松本「いや、他人のことを考えている暇はなかった。だって年間300試合ほどやって、他にも芸能の仕事があった。ただ、極悪の下の子がベビーフェイスやファンにイジメられたりするから、そこを助けなくちゃいけない。極悪は少人数だったし、トップの自分が守らなくちゃいけなかっただけ」

“ダンプ引退”でも会社は変わらず…

ダンプ松本 (C)週刊実話Web

――ダンプさんは選手の扱いの悪さから、記者を集めて一方的に引退を発表。

松本「客が入らなくなって、会社が困ればいいなと思って辞めただけ。会社は『人気が下がるから引退はダメだ』って言ったけど、勝手に発表しちゃえばこっちのものだ。でも、先のスケジュールが決まってたから、引退試合を2回やってるんだよ。1988年2月22日に川崎でやって、2月28日に地元の熊谷で。二度も引退するのかよって(笑)」

――もし会社が待遇を改善していれば、引退しませんでしたか?

松本「それは無理。会社はもっともっと金が欲しい。ビューティ・ペアのブームは2年しか持たなかったけど、クラッシュのときは極悪もいたから4年持った。それで自社ビルを建てて、会社の人間は車を買い替えて、船を買って。どんだけいい思いしてんの?って。最後は株と不動産で失敗して潰れたみたいだけど」

――ダンプさんが引退することで目を覚まさなかった。

松本「潰れるまで目を覚まさなかったんじゃないの。引退したあとの会社のことはよく知らないんだけど、みんな大変だったと思うよ。国マネジャー(国松)はね、試合があるのにおにぎり持参で私の隣でパチンコやってた。それが、翌日にはビルから飛び降りたからビックリした。会長(高司)、健坊(健司)、俊国マネジャーは病院で亡くなったけど、やりたいことやって人生を全うできたんだからいいんじゃない? でも、国マネジャーの家族は、お父さんが死んでからプロレスの話を一切しなかったんだけど、この『極悪女王』を見てからまた話ができるようになったって。ご家族が『ありがとうございます』と言っているという話が、井上貴子を通じて回ってきました。『極悪女王』のおかげで若い人がプロレスを見に来るようになったし、当時クラッシュを応援してた人たちは、もう孫がいる年頃。お金にも時間にも余裕があるから、昔を思い出してまた会場に見に行くようになった人も多いよ。あの頃の女子プロは、お客がみんな女の子。ジャニーズから『クラッシュにファンを持っていかれた』って言われたくらいだよ」

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「ブック」は本当に存在するのか?

ダンプ松本 (C)週刊実話Web

――クラッシュはアイドル的な人気があった一方、ダンプさんはファンからの嫌がらせがひどかった。

松本「いっぱい嫌われて、一番カミソリをもらえる選手になりたいって言ったら、いっぱい送られてきて。カミソリを買ったことがないよ(笑)。外でご飯を食べていたら、悪そうな男から割れたビール瓶を向けられたり。入場するときはトイレットペーパーやカップラーメンとか、物を投げてくるのが困ったね」

――ダンプさんは「タコヤキラーメン」のCMをやっていたのに。

松本「あと、当時のアメリカはかなり危なかったから、向こうで試合をしたときは、観客にナイフで刺されないように会社が甲冑を買ってくれた。300万円もしたっていうけど、実際は30万円だったかな。いらないって返したけど、記念にもらっておけばよかったよね(笑)」

――『極悪女王』で、プロレスファンの間で話題になったのが「ブック」という言葉です。ジャガー横田さんは「そんなものはない」と怒ってましたが、ブックという言葉はあまり気にならなかったですか?

松本「うん、全然。それで話題になってるんだから、もっと騒いでほしいよね。だけど、ブックは聞いたことない。だって、勝ち負けでギャラの値段が違うんだから。勝つために汚いフォール勝ちもあった。髪切りマッチのときは勝ったら300万、負けたら10〜20万だったから」

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――ドラマでは“敗者髪切りデスマッチ”がクライマックス。ダンプさんに敗れた長与さんの姿は当時、大きな反響を呼びました。

松本「髪切りは“極悪VSクラッシュ”というより、千種と飛鳥のどっちが試合に出るか、という戦いのほうが大きかったみたいだよ。自分は誰とやってもいいけど、ベビーフェイスは髪切りマッチをやったほうが人気も上がるだろうし」

――長与さんはダンプさんに負けて丸坊主になりました。

松本「あの頃、千種の顔をまともに見たことはなかった。憎たらしいし、殺してやりたいと思ってたから。あとから千種を見ると、アイドルみたいな顔立ちで(笑)。ファンがたくさんつくのも分かる。そのかわいい顔を血だらけにしたダンプは、憎らしいと思われるよね。あの髪切りで坊主になったことで、千種はまたガンと上に行ったけど飛鳥は…ってなる。ベビーフェイスの選手なんてさ、みんな人気者になりたいわけじゃない。ましてやクラッシュなんてペアだからさ。試合前に投げられる赤と青の紙テープ、どっちが多いかすぐ分かる。飛鳥のほうが目に見えて少なかったから、つらかったと思う」

――そんな影響もあってか、飛鳥さんは芸能活動を辞退。クラッシュとしてリング上で歌うことをやめました。

松本「自分のパトーナーだった(クレーン・)ユウさんとは同期だったんだけど、ユウさんはすぐに辞めちゃったでしょ。ブル(中野)ちゃんは後輩だから、張り合う関係ではない。クラッシュの2人は同期だし、2人の間で勝負もあった。やっぱりさ、みんなそれぞれさ、つらい思いは何かしらある。嫌なことがあってもプロレスが好き。リングで戦うことでファンの子に夢を見せてあげると同時に、選手はファンから声援をもらうことで嫌なことを忘れて夢をもらう。あの頃の全女は、そうやって盛り上がったんだと思う。自分の場合はヒールだから、声援じゃなくて野次が欲しい。最近は『極悪女王』のせいで悪いことをやっても野次が飛ばないから、困ってるんですけどね(笑)」

「週刊実話」1月2日号より

ダンプ松本
1960年生まれ、埼玉県出身。80年に全日本女子プロレス興業に入門しデビュー。84年、リングネームをダンプ松本に改名。80年代半ばからクラッシュ・ギャルズと激しい抗争を繰り広げ、女子プロレスブームを起こす。88年に引退するも、2003年から現場復帰。