25年前の出来事が、フラッシュバックする。
1999年8月に行なわれたラモス瑠偉氏の引退試合に、当時21歳の中村俊輔も出場。その時にラモス氏から言われた。「これからの代表、頼んだぞ」。
まだA代表でデビューもしていないレフティは、シンプルに「なんで俺?」と思ったという。だが、ラモス氏の予言通り、俊輔はその後、長きにわたり日本代表の10番を背負い、日本サッカー界を牽引した。
偉大な先達の言葉を決して忘れない。今でも深く胸に刻まれている。12月21日に行なわれた南雄太氏の引退試合でピッチに立った時も、俊輔は若き日の自分をふと思い出した。
日本代表に縁のあるメンバーで構成された『BLUE LEGENDS』の右サイドハーフで先発した俊輔。華麗なサイドチェンジやスルーパス、代名詞のFKで見せ場を作ったが、途中で右足首を少し痛めたか、全速力は厳しい状況だった。
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最前線で“お休み”している時、俊輔が『YUTA FRIENDS』の選手と言葉を交わすシーンがあった。相手は大宮の期待のホープ市原吏音。プロ1年目の19歳CBとの会話は他愛のないものだったようだが、「18歳ぐらいでデビューしてるよね? それは知ってる」と明かし、多くの盟友たちが駆けつけた南氏の晴れ舞台に、若手ながらも呼ばれたことにも敬意を表す。
「なかなかあることじゃないから。自分もラモスさんの引退試合に出させてもらった時はビックリした。でも、こういうのって(記憶に)残るから。戦友が集まるなかで呼ばれるのは光栄なことだと思う。まだ19歳でも、何かあるから呼ばれているんだろうし、市原君の人望や人格とかあるかもしれないけど、雄太からすれば、頑張れよってことだと思う」
ロス五輪世代のU-19日本代表で腕章を巻く俊英は、俊輔以外にも三浦知良や小野伸二、遠藤保仁、中村憲剛、中澤佑二、川口能活、李忠成、大谷秀和、菅野孝憲ら錚々たる顔ぶれが一同に会した引退試合で、どんなことを感じたのだろうか。俊輔もさらなる飛躍を期待しているに違いない。
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)
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