どんな世界にも”伝説の存在”というのはいるものだが、ことF1においては、アイルトン・セナ以上にその言葉が似合うドライバーはいないだろう。
彼の偉大さはもはや説明する必要もない……彼が残した数々の記録が更新された今も、セナはF1史を代表する、最高のドライバーであるという評価はゆるぎない。
しかしそんな伝説の存在も、1994年に亡くなってから今年ですでに30年。F1に新たなファンが増えている今、彼の走りにリアルタイムで魅了されたファンも、割合としては徐々に少なくなってきているのではないだろうか。
2025年のF1ドライバーの中で、セナが亡くなった1994年よりも前に生まれていたのはフェルナンド・アロンソ、ルイス・ハミルトン、ニコ・ヒュルケンベルグのみ。セナは文字通り、歴史上の偉人となりつつある。
正直に言えば、35歳の筆者にとってもセナは、物心のつかないうちに亡くなった伝説のヒーローだった。
F1の大ファンであり、実際にその走りを目の当たりにした父からセナの凄さについてはよく聞かされていたし、彼がどのように生き、どんな走りをして、どのように亡くなったか……様々な資料で知った気になってはいるが、本当のセナを知らないことにもはやどうしようもない、なんとも言えない複雑な感情を持っていたのも確かだ。
Netflixで公開されている『セナ』(全6話)は、彼の内側にあった苦悩や彼の人柄、家族・友人・恋人との関係も掘り下げる作品となっており、セナの実家でのロケを含め、遺族の全面協力を得て制作されている。
この年末年始に、伝説と呼ばれたドライバーのキャリアを振り返り、セナの生き様を知る上で最適な作品と言えるのではないだろうか。
エピソード1『天職』では、あの悲劇のイモラから過去を振り返るように、レーシングドライバーになるまでの若きセナを描いていく。フォーミュラ・フォードを制したセナが実家の自動車工場を手伝うためにブラジルに帰国しながらも、レースへの情熱を再確認しF3へとステップアップしていくまでを描いている。
エピソード2『決意』では、マーティン・ブランドルと競ったF3時代から、飛躍の大きなきっかけとなった1984年、大雨のモナコGPまでを描くなど、重要なエピソードとその背景を丹念に描き出している。
筆者としては、モナコGP後にロータス移籍を決めるシーンは一切セリフが入っていないにも関わらず、セナの喜びと待ち受けているF1での成功が感じられるお気に入りのシーンだ。
本作はセナの心理描写にかなり力が入れられている一方で、当然ながらレースシーンも迫力満点だ。本作に登場する22台のF1マシンはすべて、CGを使わずに撮影されている。無論当時のマシンを走らせているというわけではないが、レースでの緊迫感やエンジンサウンドは息を呑むほどリアル。ところどころに当時の中継映像が使われているのも、憎い演出だ。
セナを演じるガブリエウ・レオーニ、アラン・プロストを演じるマット・メラの演技も素晴らしいの一言。見た目も含めて、実にすんなりと作品に没入することができ、エピソード5まで一気に視聴してしまった。
それだけに、最終エピソード『時間』を再生するのには勇気が必要だった。ウイリアムズに移籍したセナの目線で描かれる悪夢の週末。セナの葛藤。ここで詳しく書くことはしないが、重苦しい雰囲気の中でセナはレースに臨み、そしてこの世を去る。
セナが亡くなった影響は計り知れないほど大きく、この事件以降マシンの安全性は大きく改善され、現在のF1マシンを形作っている。このエピソードでも言及されたグランプリドライバー協会(GPDA)はセナの死後に復活。現在も安全性などについて、ドライバーたちの意見をまとめている。
ただ単に悲劇に注目するだけではない、”その後”につながるこのエピソードは、彼の死後30年が経った今だからこそ非常に重要に感じるように思う。
12月に幕を閉じた長いF1シーズンを終え、短いオフに見たこのドラマ。セナの葛藤や情熱に惹き込まれ、改めて自分の中のモータースポーツへの愛を再確認できたと書くと、ちょっと臭すぎるだろうか。
一部フィクションの部分もあるが、細かい描写も含めて実に作り込まれていた。だからこそセナについて自分が持っていたモヤモヤも、いくらか解消できたように思う。
まだ未視聴の方は、たっぷりと時間が取れるこの年末年始に、セナというひとりのドライバーについて感慨にふけってみるのをオススメしよう。