審判写真家・林直樹氏
突き抜けた男たちの魂の叫びを届ける、「死ぬ前までにやっておくべきこと」。今回からは野球の審判の雄姿を撮り続ける、審判写真家・林直樹氏のインタビューをお届けする。
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「野球の母国アメリカではその昔、町の荒くれ者たちがプレーをしていたようで、それを裁く審判という役割は、町の議員や聖職者など、人々から尊敬される人が担当したと言います。つまり、審判の決定は絶対的。それに疑問を呈す行為自体、法や神に文句をつけるようなものなんですよ」
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そんな逸話をグラス片手に熱っぽく語る林直樹は、大手IT企業で経理部の課長を務める世間的には“ちゃんとした大人”である。
だが、会社を一歩出た途端、彼の真の顔が表出する。
カバンから一眼レフを取り出し、向かう先はグラウンド。ただの野球ファンならまだ可愛いが、林の視線はグラウンドの選手たちを見ていない。
その先にあるものはグラウンドで“石ころ”とも比喩されるプロ野球の審判。林は世にも珍しい『審判写真家』として2011年から活動している。
なぜ彼は審判の世界に魅了されてしまったのだろうか。
「う〜ん…なんでだろう。元を辿ると2000年にNPBの公式記録員に応募したことかな。そこで野球のルールが試験に出るというので勉強してみると、これが野球をずっと見てきたのに知らないことばかり。そこからルールというものに興味を持ち始めたんですが、これが日本国憲法よりも長くて細かい。そして気付くんです。日本で一番野球のルールを知ってる人が審判だと。それは裁判官と同じ。あらゆる事象を法に則って裁き、円滑に進めていく絶対的な存在。この凄まじい知識量と瞬間的にジャッジする判断力、そしてそれを5万人の大観衆にも分かるようにアピールする表現力。そうでありながら陰の存在という奥ゆかしさ。一度、野球を審判中心に見てくださいよ。本当に奥が深い、面白い世界ですから」
撮り溜めた写真はなんと30万枚以上
林直樹氏
一般的に審判のジャッジなんて、ストライク、ボール、アウトぐらいのものじゃないのかと問えば、「ボーク一つ取っても13ケースあります。アウトやセーフだって同じです」と林は身振りを交えながら講義を始める。
同じセーフでも一塁手の足がベースから離れてしまったら、「オフザバッグ」。ジャッグルしたら「ジャッグルザボール」となるのだ。
個人のジャッジだけではない。試合展開、ボールの飛んだ場所によって4人の審判それぞれのフォーメーションが目まぐるしく変わり、プレー前には選手ばりにサイン交換なんて連携もあるという。
当然、そんな場面は絶好のシャッターチャンスなのだとか。
「審判の一番の見せ場であり、写真として分かりやすいのは見逃し三振ですよね。最近では敷田直人(袖番号3)さんの『卍』が有名になりましたが、あれは各審判員ごとのオリジナルですから、個性が一番出るところ。でも、本当に面白いのはレアなプレーのジャッジですよ。だからファームの試合は打順間違いがあったり、インフィールドフライと守備妨害が同時に起きたりと、信じられないプレーが起こるので楽しいんです。審判の本懐は、正確でいて、遠くの人にまでジャッジを理解させる所作。どんな場面でも毅然と接する姿が美しいと思うようになり、いつしか被写体として収めるようになっていました」
林は一番多いときで120試合ほど野球場に赴き審判写真を撮っている。
関東近郊には一軍で5球団、ファームで6球団あるので、仕事終わりのナイターだけでも、年間100試合は楽勝だとか。
だが林はこの「審判写真家」での活動はほぼ無報酬である。
求められれば無償で提供しているし、いい写真が撮れると審判員たちにプレゼントすることもある。
この15年、プロ野球のシーズン中は仕事以外のほぼすべての時間と莫大な経費を使っているが、その対価は30万枚以上撮り溜めた“どこにも発表するあてのない”作品だけ。趣味という領域は、もはやとっくに突き抜けてしまっている。
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審判は動き一つ取っても見るべき技の宝庫
「僕はこれで儲けるつもりは一切ありませんし、プロの写真家になろうという気もさらさらありません。じゃあ動機は何かと言われたら、やっぱり、審判という陰に隠れがちな存在に光を当てたい。あんな凄い人たちなのに、選手やファンから叩かれることはあっても褒められない。報われないじゃないですか。審判の判断一つ、動き一つ取っても、見るべき技の宝庫です。僕の写真を通じて、もっと多くの人に審判の凄さを理解してもらうことは、僕の人生を懸ける理由としても十分すぎます。あとはいい写真が撮れて、それを審判の人たちに渡すと物凄く喜んでくれる。それだけでもやりがいですよね」
自分でもどうかしちゃっているのは十分承知。でも最初は不毛と思えた活動も、徐々に認めてくれる人たちが出始めてきた。
例えば現在の『審判写真家』という肩書も元審判員の山﨑夏生さんが17年のキャンプ時にそう呼んでくれたことが始まり。同審判員とは、今では毎年12月にトークショーを開催しているとか。
「今では多くの審判員の方に球場で会えば声を掛けてもらえるようになり、交流も増えました。それで知るんですが、彼らは職業上、グラウンドでは物凄く厳格に見えますが、普段は当たりの柔らかく優しい人が多いんです。つまり、トップを張れる審判は『皆に尊敬される人格者』という思想は、今の時代にも残るんじゃないかな。どこをどう切り取っても、魅力とシャッターチャンスは尽きませんから」
【林直樹(2)につづく】
取材・文/村瀬秀信
「週刊実話」1月2日号より