2024年度(1月~12月)に反響の大きかった社会問題記事ベスト5をお届けする。第3位は、能登半島地震で津波被害を受けた当事者たちの声を取材した記事だった(初公開日:2024年1月9日)。ここ数年の度重なる震度6級の地震に加え、元日に最大震度7の激震に見舞われた奥能登の石川県珠洲市。中でも津波による甚大な被害を受けた北東部の沿岸に位置する三崎町寺家地区を6日、歩いた。
「68年間の人生の中でこんなに潮が引いたのは初めて」
海岸沿いの道には、津波が押し寄せ一気に引いていったのか電動歯ブラシ、テレビのリモコン、イスといった家財道具が散らばっている。6日になって大勢の人が避難所から自宅に戻り、片付けに精を出していたが、幸いなことに同地区では犠牲者は確認されなかったという。近隣の男性住民が語る。
「地震の揺れは相当大きいものでしたが、その後の行動についてはわりとみんな早かったと思います。私もすぐに高台まで避難しました。やっぱり頭の片隅に東日本大震災の津波の映像が残っていて、すぐにあのイメージに繋がったので早く動けたというのはあります。
津波がくる可能性があると言われてもこの辺では慣れっこになってしまっている人もいるのですが、今回の揺れ方はひどかったので、みんな避難したんだと思います。私の家も一切合切ダメになってしまいましたが、私が知る限りはこの地域で死亡者がいるという話は聞いてないです」
40人近くが身を寄せ合い生活しているという川上本町集会所を訪ねてみた。年配の男性が左腕を三角巾で吊り、水を汲もうとしていたので、手伝いを申し出ると「こうしたら持てますから大丈夫です」とかがんで水を持ち上げて見せてくれた。右頬の皮膚がめくれたように剥がれ、生傷もまだ癒えておらず、改めて過酷な状況だったことを物語っていた。
同集会所の代表を務める町会区長の辻一(かず)さん(68)は津波の被害についてこう語った。
「俺も今回の地震の後、いろんなルートを車で回ってみたけど、津波の被害が一番ひどいのはここらだって感じてはいるね。ここまで大きな津波は生まれて初めてです。昔は地震もそんなになかったし、ここは雪も少なくて、過疎化は進んでいるけど住みやすい場所だって俺は思うてるけどね。
ここらは漁師の人間が多いから波の動きは読めるんだけど、今回のは『おい、今までの波の引き方と違うぞ』という波だった。高台から見とったけど1波よりも、ぐーっと来た2波のが大きかったね。引き波が海岸線から300メーターくらいガーっと引いていった。干潮でもここまで潮が引くことはないし、とにかく68年間の人生の中でこんなに潮が引いたのは初めて見ました」
(広告の後にも続きます)
12月10日に娘夫婦が家を新築したばかり…
寒ブリ漁の盛んな同地区だが、漁船はことごとく流され、大破し、使い物にならない。
「まぁ、想定外やね。この辺りは寒ブリだな。みんな船流されたり裏返ったりして、もうダメですわ。ただ悲観はしてないかもな。年配の漁師たちは『あーちょうどよかった。もう漁師やめる時期や。もうなってしまったもんはどうしようもないな。あとは保険がなんぼ降りるかな』くらいのもんやで。もうダメになったもんをどんだけ悲観しても一緒だからな。そういう話しとらんとやりきれませんよ」
辻さんは地震のあった元日は、能登半島の最先端にある須須神社にいたという。
「私は須須神社の氏子総代もやっとるもので、受付のお手伝いで上がっとったんよ。それで『今日の神楽は終わり』と告げた途端にガーッと揺れ出した。隣の区の集会所の高台に避難して、波が落ち着いてから歩いて自宅に戻ったんだけど、受付しとったけ背広来て革靴履いとってね。道なんかずっと、水が高い位置まできとったから、やっとで家までたどり着いたわ。
ただおかげさまで怪我人はでましたが、寺家には犠牲者はいません。避難所になった集会所では風呂入りたいなどいろいろな要望があるけど、多いのはちょっとした自由がほしいって声だな。散歩なんかはしてるけど、基本は缶詰状態でザコ寝で仕切りもないもんだからな」
犠牲者は出なかった。しかし、津波が奪ったものはあまりにも大きかった。娘夫婦が新築したばかりの家が、壊滅したのだ。辻さんの表情が見る間に暗くなった。
「ウチの娘と婿さんがクリスマス前に沿岸部に家を新築して12月10日ぐらいに完成して入居したばっかのとこでよ。ウチは高台にあったんで、娘は妊娠中で切迫早産の可能性があったもんだから実家に来とって、地震のときもな。ウチは高台にあるもんで助かったんだけど、新築の家はダメになってますわ。
新居見てきてくださいよ。俺泣きましたよ。泣きました、俺。娘と婿に『ここに土地あるさかいにこっちこいや』て建てさせたのに。俺が呼んださかいにこんなんなったんかなって悪いほうに考えてしまって。娘と婿は2日の日に大事なものだけ取り行くと新居行って2人して泣いて帰ってきて……。『保険入っとんたんか』って俺もそこまで聞かれへんでね。今は娘は金沢のほうに避難して、赤ちゃんも来月出産予定で落ち着いてるんだけどね」
娘さんはまだ20代で、大工の夫と直前までは珠洲市の飯田地区で暮らしていたという。
「3年前に結婚して、新居は大工の婿さんが自分で建てた家なんよ。こだわって、でかいサッシ使ったり自分でいろんなもん選んで建てた家だったからなぁ」