増え続ける「未婚シングル」を待ち受ける地獄…気ままな「ひとりの人生」を望む男女は実際どれだけいるのか? 【2024 社会問題記事 5位】

必要なのは、支援ではなく報酬

日本社会を自縛するこの状況を打ち破るためには、どのような施策があり得るのか。選択肢はきわめて少ないが、「未来に対する投資」と「現在に対する投資」を同時におこなうことが必要条件になるだろう。未来に対する投資は、子供を増やすこと。現在に対する投資は、シングルのセーフティ・ネットを拡充すること。

なによりも肝心なのは「出産・子育て世帯/それを期待できる世帯への投資」と「シングルへの投資」を、二者択一(トレード・オフ/片方を選ぶと、もう片方を失う)の関係として扱わないことだ。

未婚者も既婚者も離死別者も、子供を持つ家庭も持たない家庭の構成者も、人はおしなべて「ひとり」である。ゆえに、国民全員が漏れなく保障されるべき「最低限度の文化的な生活」は、ひとりひとりの生存権として保障されなければならない。それがすなわち「シングルへの投資」である。

他方、出生率を上げることを目的とした「出産・子育て世帯/それを期待できる世帯への投資」は、生存権ではなく国家の人口政策に紐づく。生存権を1階とすれば、その上に積み上がる2階(報酬/インセンティブ)だ。これは1階の区分ではなく、ひとりひとりに対して完全に平等な1階に上積みされた2階になっていなければ意味がない。

現在の日本で出生率が上昇しない理由は、まさにこの点にあると言えるのではないか。2階は、個人の選択に対する「ささやかな支援や手助け」ではなく、国家の人口政策に貢献した対価としての「重みのある報酬」でなければならないはずなのである。

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生存権と報酬 

たとえば、0歳から子供を預ける保育施設をめぐって、点数で優先順位が決まる現行の仕組みは明白な誤りだ。片親であるかどうか、共働きであるかどうか、どちらかが家事労働の専業であるかどうかは、「人は皆、ひとりである」という観点には無関係だからである。

出産や保育に関連する手当は「人口を増やしたこと」に対する報酬(2階)なのだから、当人たちの就業や所得の状況とは無関係に、子供を持ったすべての者に同じだけの報酬が与えられるのが当然だろう。

本気で子供の数を増やしたいなら、希望するすべての親の子供を、0歳から無条件で保育施設に預けられるようにすべきである。現在、社会実験中の「子供誰でも通園制度」の劇的な拡充が強く望まれる。

また新たに家族や子供を持つ、ないしは既存の関係性を持続させる努力に対する報酬は、シングルに対しても適用可能である。分かりやすいのは、生活保護だ。日本には「扶養照会」(親や兄弟などに、当該の人物への金銭的援助が可能かどうかを確認する)なる仕組みがあるが、「人は皆、ひとりである」なら、金銭的援助を期待できる血族がいるかどうかは支給要件とは関係ない。

むしろ、そうした保護を受けざるを得ない者のうち、親兄弟や親族と良好な関係を保っている(保つ努力をした)者が生活保護に加えて身内からの金銭的援助、生活上の支援を受けられる――その報酬を認めるほうが――血縁者による親密圏を維持、貢献、持続させる推進力に繋がるのではなかろうか。