絶対零度を超える負の温度は「この世の何より」も熱い / Credit:clip studio . 川勝康弘

絶対零度のその先の話です。

イギリスのケンブリッジ大学(Cambridge)で行われた研究により、絶対零度を超えて負の温度に達した「この世の何よりも熱い」物体を、さらに全くの未知の状態の「何か」に進化させることに成功しました。

「負の温度」の物体は、熱力学的にどんな高温よりもさらに「熱い」状態であり、たとえば、1億℃の物体に接触させると、負の温度の物体のほうが瞬時に1億℃側へエネルギーを流し込み、逆に「加熱」してしまうのです。

このとき相手の物体に温度制限はなく、理論上は相手が100億℃でも1兆℃でも、さらに無限大でも加熱することが可能です。

このような状態は正の温度の物体では実現不可能です。

負の温度はここ数年で急速に理解が進んでおり、現実的な応用も考えられるようになってきました。

負の温度はここ数年で理解が大きく進み、実用の可能性も示唆されています。ただし、その概念はかなり難解で、「いったいどうやってそんなモノを作るの?」と思われるかもしれません。

新たな研究では、この負の温度状態にするターゲットに、量子力学の分野でも、まだほとんど理解が進んでいない奇妙な量子状態「幾何学的フラストレーション」が選ばれました。

この幾何学的フラストレーションは、ごく最近になって人工的に作り出すことが可能になったばかり。

複数の量子的な状態が同時に混在するため「量子のごった煮」のような様相を呈します。

研究チームは、このごった煮状態を絶対零度付近まで冷やし、そこから一気に「負の温度」へと移行させ、何が起こるのかを実験的に調べました。

量子世界の中でもとりわけ奇妙な量子状態を、温度の世界でもとりわけ奇妙な「負の温度」に移行させ「奇妙」×「奇妙」を実現し、何が起こるかを調べたのです。

イメージとしては、中学生の理科実験でビーカーに試薬を片っ端から投入して大騒ぎしている光景に近いかもしれません。

その結果、従来の物理学の常識では説明がつかないような“新しい何か”が発生し、研究者たちは計測データの解釈に頭を悩ませています。

この記事ではまず、今回コラボする「負の温度」と「量子状態のごった煮(幾何学的フラストレーション)」の両方を分かりやすく解説し、そのうえで研究結果をご紹介します。

(※負の温度や幾何学的フラストレーションをご存じの方は、前半部分を読み飛ばしていただいて構いません)

量子のごった煮の中では何が起こり、負の温度へ移行したときにどんな変化が見られたのでしょうか?

研究内容の詳細は『アメリカ物理学会 原子・分子・光物理学部門の年次総会』で発表されました。

目次

「負の温度」はこの世の何よりも熱い「奇妙な量子状態」×「奇妙な温度状態」で何が起こるか?

「負の温度」はこの世の何よりも熱い

この世でもっとも冷たい温度として知られているのが、絶対零度(0K=-273.15℃)です。

古典物理によれば、物体の温度は内部の粒子の運動エネルギーによって決まり、0Kの物体は粒子がまったく動かず、エネルギーレベルがすべてゼロにそろった状態と解釈されます。

しかし、そこから少し温度を上げると、粒子のエネルギーは多様化していきます。

たとえば100℃の液体内では、“すべてが100℃相当のエネルギーを持つ”わけではなく、少数の高エネルギー粒子と多数の低エネルギー粒子に分かれているのです。

たとえば100℃の液体の内部にある粒子のエネルギー状態を調べ上げると、全てが100℃に匹敵するエネルギーを平均して持っているわけではなく、一部の高エネルギー粒子とその他多くの低エネルギー粒子によって構成されていることがわかります。


正の温度の世界では一部の高エネルギー粒子とその他多くの低エネルギー粒子によって構成されている / Credit:clip studio . 川勝康弘

温度計が100℃を示すのは、高エネルギー粒子と低エネルギー粒子がランダムに衝突し、その結果として「平均的に100℃程度」と判断されているにすぎません。

実際には1億℃や1兆℃でも、粒子すべてが高エネルギーなわけではなく、依然として低エネルギー側に集中するという分布パターンが続きます。

100℃の熱湯でやけどをするのも、ほんの一部の高エネルギー粒子が肌に接触するためで、もしその高エネルギー粒子のみを完全に制御できれば、熱湯に指を入れても火傷しないかもしれません(とはいえ現実的には不可能ですが)。

こうした「高温でも、実は大多数が低エネルギー側にいる」という現象は、正の温度が持つ基本的な性質です。

(※厳密には「正温度のボルツマン分布では高エネルギー状態ほど粒子数が指数的に減少する」という表現になります)

古典的な物理学の世界……つまり正の温度の世界では、どれだけ熱を加えて物体全体のエネルギー量を上げても、高エネルギー粒子と低エネルギー粒子の“比率そのもの”は変えられません。

温度の上限は無限大とされますが、「ほとんどの粒子が高エネルギー状態に偏る」ようにはならないのです。

ところが量子力学の発展によって、これまで不可能と思われていた「負の温度」が理論的にも実験的にも見えてきました。

名前だけ聞くと「0Kよりもっと冷たいの?」と思うかもしれませんが、実態はより奇妙で、「正の温度の延長線」とは全く違った独自の世界を作っています。

正の温度では「少数の高エネルギー粒子+多数の低エネルギー粒子」という構成でしたが、負の温度の物体はむしろ「多数の高エネルギー粒子+少数の低エネルギー粒子」という、古典物理の常識ではありえない分布になっています。


負の温度は古典物理では不可能な無限大温度も加熱できる / Credit:clip studio . 川勝康弘

上の図は正の温度の物体と負の温度の物体を構成する粒子たちの持つエネルギーを簡易的に示したものです。

縦軸が粒子のエネルギーレベルで、横軸が存在割合です。

正の温度の物体は低エネルギーレベルの粒子が一番多い一方で、負の温度の物体は高エネルギーレベルの粒子が一番多くなっています。

両者を比較すると、まるで鏡の世界のように逆のエネルギー分布をしているのがわかるでしょう。

「単なるエネルギー分布の違いのことを大げさに「負の温度」のような言葉で誇張していたのか?」と思う人もいるかもしれませんが、決して大げさではありません。

負の温度を持つ物体は、正の温度の物体が決してできないことを可能にします。

負の温度の物体は「この世の何より」も熱く、どんなに高温の物体(たとえ無限大の温度でも)も加熱することができるという特性を持つのです。


加熱するほうが熱いと定義されます / Credit:clip studio . 川勝康弘

正の温度の世界では、熱い物体から冷たい物体に向けてエネルギーが流れます。

たとえば100℃の物体Aと20℃の物体Bを接触させると、より熱いAからより冷たいBに向けてエネルギーが流れます。

これにより加熱する側がより熱いという定義がうまれます。

ですがここに負の温度の物体が参加すると、奇妙なことが起こります。

正の温度の物体を構成する粒子の大半は低エネルギー状態です。

それに対して負の温度の物体は総合的なエネルギー量が劣っていたとしても、ほとんどの粒子が高エネルギー状態に偏っています。

そのため正の温度の物体が宇宙で最も熱い温度を誇る物体であっても、負の温度の物体は接触と同時に正の温度の物体に熱エネルギーを与え加熱することができるのです。

加熱する側がより熱いという定義に基づけば「負の温度は、熱力学的には無限大の温度よりもさらに熱い状態」ということになります。


負の温度が無限大温度を加熱するならば、負の温度は無限大温度よりも熱いと解釈できます / Credit:clip studio . 川勝康弘

問題は、そのような負の温度の特徴を持つ物体をどうやって作るかです。

先にも述べたように、古典物理の描く正の温度の世界では、加熱によって物体の総合的なエネルギー量を増やすことはできても、高エネルギー粒子と低エネルギー粒子の比率を逆転させることはできません。

そこで研究者たちは、古典物理の枠組みを飛び越え、量子力学の世界で負の温度の実現を目指すことにしました。

量子力学の世界ではまず、古典物理に存在しなかった温度の上限を設定することが可能です。

たとえばスピン系と外部磁場を使う場合、通常の正の温度に該当するときには、スピンの方向は外部磁場とそろう方向(たとえば下向き)をした低エネルギー状態のものが多くの割合を占めています。

(※このときエネルギー状態の最大値は、全てのスピンが上向きの状態のときです)

この状態に対して共鳴を起こす電磁波を照射すると、スピンは磁場と反対向き(上向き)の高エネルギー状態に移行させることができます。

この操作を繰り返し照射することで、最終的にほとんどのスピンを高エネルギー状態に移行させ、エネルギー状態の分布を反転させることができます。

簡単に言えば、量子力学のスピンの概念を利用し、低エネルギーの粒子に電磁波を与えてほとんどを高エネルギーの粒子に変えてしまうという方法です。

他にも光格子を用いた方法では、まず原子を絶対零度に近い温度に冷却しておき、光格子の深さや形状を調節して、エネルギー順位の配置を制限します。

そこにレーザーや電場を用いてエネルギーを注入することで、エネルギーの高い状態が優先的に占有されるようにします。

たとえるなら、絶対零度付近に冷やした粒子たちに、量子力学的な手法を使って高エネルギー状態になりやすい状況を用意し、最後に衝撃をあたえて、高エネルギー粒子の割合を増やす方法と言えるでしょう。

これらの手法は、どちらも量子力学的な概念や操作を必要としており、古典物理では達成不可能なものとなっています。

負の温度の世界への扉を開くことは、単なる技術的なチャレンジではありません。

私たちのよく知る物質やあまり知らない物質を負の温度の世界に案内することで、予想もつかない物体の状態を引き起こすことが可能になるかもしれません。

そこで新たな研究では、量子力学の世界でも奇妙さが際立つ「幾何学的フラストレーション」という状態を、負の温度の世界に放り込むことにしました。

「奇妙」×「奇妙」を試すことにより、信じられないほど奇妙な何かが出現するかを試したのです。

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「奇妙な量子状態」×「奇妙な温度状態」で何が起こるか?

奇妙×奇妙で何が起こるか?

答えを得るために研究者たちはまず、奇妙な量子状態として幾何学的フラストレーションを用意しました。

量子の世界でも、正の温度の世界では、最もエネルギー状態の低い粒子が多数派を占めるのは同じです。

しかし幾何学的フラストレーションを用いて形成される量子状態では、最もエネルギーが低い状態が複数出現してしまい、異なる状態にありながらもどれも最低エネルギー状態という奇妙な状況が出現します。

(※通常の正の温度の世界では、最低エネルギー状態は1種類です)

結果として、どの状態が優勢になるかは非常にあいまいで、系が1つの状態に収束できない混沌とした状況が発生します。

すると量子力学的なトンネル効果や干渉が非常に起きやすいようになり、普通の状態では見られない多種多様な繊細な量子的重ね合わせや干渉が発生します。

つまり幾何学的フラストレーションを使うと量子現象が多発する「量子状態のごった煮」を出現させることが可能になるのです。

このような「量子状態のごった煮」にあるものを、異常な負の温度の世界に案内したらどうなるのか?

研究者たちはさっそく実験を開始しました。


奇妙に奇妙をかけあわせたらもっと奇妙になりました / Credit:clip studio . 川勝康弘

調査にあたってはまず、カリウム39原子を真空チャンバーに閉じ込め、レーザーや磁場を使って絶対零度近くまで冷やします。

次に外部磁場や光格子の深さなどを一気に変化させ、もともと低エネルギー側にいた原子たちを高エネルギー側に移動させ、負の温度の状態を作り出します。

今回の研究ではこの光格子が特殊であり、幾何学的フラストレーション構造をしているため「量子状態のごった煮」を形成させることができました。

そして最後に観測を行い「奇妙な負の温度状態」にある「量子状態のごった煮」がどんな性質をしているかを調べました。

すると、高エネルギー状態の粒子が詰まっている状態にありながら、幾何学的フラストレーションのせいで、どこにも落ち着けない状態になっていることが明らかになり、粒子はこれまでにない不思議な秩序や新しい相転移を見せていることが判明しました。

さらに運動エネルギーがゼロであるのにも関わらず、内部で超流動が生まれている可能性が示唆されました。

これはある意味で走るための体力が全く無いのに、滑らかに動けてしまうという奇妙な状況です。

実験ではその様子を観察することで、これまで理論的には予想されつつも観察されたことのない奇妙な量子現象の手掛かりを得ることができました。

中学の理科の実験で、最後余った試薬をビーカーに投げ込んでごった煮を作ったり、さらにそれを加熱したりして、煙や泡が出たり発熱する様子を楽しんだ人もいるでしょう。

それらのごった煮の現象は中学で習うどの化学式よりも、高度で複雑な反応によるものです。

今回の研究では、研究者自身も良く解っていない幾何学的フラストレーションと負の温度を掛け合わせ、何が起こるかを調べた、最先端の遊びとも言えるものです。

もしこの状態を説明し制御する方法を見つけられれば、人類の量子技術はより高度なものへと飛躍できるでしょう。

元論文

Quantum simulation with ultracold bosons in frustrated optical lattices
https://meetings.aps.org/Meeting/DAMOP24/Session/S00.98

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部