実際どうだった?体験者が語るパリ2024大会ボランティアの舞台裏

助けを求めている人には手を差し伸べる。肌で感じたパリの空気


周囲のサポートもあり、エッフェル塔のシャンパンフラッシュ(夜間のライトアップに加えて、日没後毎正時5分間にわたりキラキラと輝くイルミネーションイベント)を見られたことがボランティア活動外での一番の思い出だそうだ

松木さんのパリ滞在は約2ヶ月。その間、どのように生活していたのだろうか。

「パリでは、日本人が経営しているゲストハウスが選手村の一駅先にあって、そこに滞在していました。そこから選手村に週5日通い、あとは近所のスーパーに行って食料品や日用品を買ったり。初めてのフランスで勝手もわからなかったし、外出には道のりの下調べが私の場合は大変なので、(業務がないときも)外食や買い物、観光などはあまりできませんでしたね」

パリは、日本のように目立つ点字ブロックもあまりなく(あったとしても目立たない色で、地面から剝がれていたりすることも)、地下鉄にもエスカレーターやエレベーターが見当たらず、白杖を持った人もほとんど見かけなかったそうだ。

「そういう環境面では日本の方がいいなと思ったんですが、人のサポートはとても良かったです。選手村に最初に入った日、白杖をついて歩いていたら、“何か手伝えることある?”と、何人もの人から声をかけられました。地下鉄を利用するときも、もちろん見知らぬ人が何人も声をかけてくれるんです。一見怖そうな人も席を譲ってくれたりして(笑)。エスカレーターやエレベーターがないから、たとえばベビーカーを押しているお母さんがいたら、周囲にいる知らない人同士で一緒に運ぶというのが当たり前なんです。日本ではなかなかないですよね。本当に驚きました」


ボランティアの最終日に、お世話になった大会組織委員会のメンバーと撮った記念写真。スムーズに活動できるように、いろいろなサポートをしてくれた

憧れのボランティア、選手たちのサポートを通して見えた、スポーツを心から楽しむ様子。松木さんはパリでは本当に多くのものを得ることができたと語る。一方でうまくいかなかったこともあり、それが学びの機会にもなった。

「私は、障がいのある方のことはわかっているつもりだったんですが、選手村のボランティアをしてみて、全くわかっていなかったことに気づきました。車いすユーザーの方が車に乗る際のタイミング、どのようにサポートしたらいいかなど、視覚障がい以外の障がいのことを知らないがゆえに考えが至らず、うまくいかなかった場面がありました。また、夜間の活動のときなど(視覚に障がいがある)私自身もサポートが必要な場面もあり、周囲の人に心配をかけて申し訳ないと感じたこともありました。『「なんでもやります!』」ではなく、できることとできないことはどうしてもあるので、それを自分からしっかり伝えて、その上でどんな活動をするかをすり合わせられればよかったです。

また、ボランティアに対する考え方は国によってさまざまだと実感しました。日本では、“おもてなし”の精神が根付いており、細部にまで気配りをして1から10まで丁寧にサポートするのが特徴と感じます。一方で、フランスでは『楽しむこと』を大切にし、自分が楽しむことで周りも楽しくさせるというスタンスが強かったです。また、フランスのボランティアは、障がいのある方が自分でできることは本人に任せ、できない部分だけをサポートするという形で、1から10の中の一部を手助けするという考え方が主流でした。パリでの経験をきっかけにもっと勉強して、今後のいろいろなボランティア活動に活かしていきたいですね」


今回のパリ2024大会での活動時に使ったパスカードのストラップには、色とりどりのピンバッジがずらり。他国のものもあり、一つひとつが大事な思い出だ

念願叶い、パリでのボランティアを終えた松木さん。テレビの画面を通して見ていたパリ2024オリンピック・パラリンピックとはまた違った一面を、松木さんのストーリーから感じることができた。パリ2024大会のボランティアへの応募は世界中から30万人以上の応募があったそうだが、それほどまでにたくさんの人々に熱意を抱かせるのは、やはりボランティアを通して、松木さんが得たようなかけがえのない経験や学びが得られるからなのだろう。ボランティアという取組がもつ可能性の大きさを感じさせられる。
ボランティアが活躍している場は日本にも多数ある。松木さんのようにボランティアに参加し素晴らしい経験を得た人々の存在は、さらに多くの人を惹きつけ、日本のボランティア文化の盛り上げにつながっていくのではないだろうか。

text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
photo provided by Matsuki herself