レッドブルが2024年シーズン終了後に2025年ドライバーラインアップを確定させ、RBから正式にレーシングブルズとなるイタリア籍のチームからは角田裕毅、そしてルーキーのアイザック・ハジャーがF1を戦うこととなった。
FIA F3、FIA F2をご覧の方々には今更何を……と言われることもあるかもしれないが、ここで一度ハジャーはどのようなドライバーなのかおさらいしてみよう。
■アイザック・ハジャーとは?
ハジャーはパリ出身のアルジェリア系フランス人。2004年9月28日生まれの20歳だ。2014年から2018年にかけてカート競技に打ち込んだハジャーは、2016年にクープ・ド・フランスとチャレンジROTAX MAXフランスで共に2位を獲得した。
ハジャーは2018年末にカートから四輪にステップアップ。まずは箱車のジネッタ・ジュニア・ウィンター選手権に参戦した。ここではポイントを獲得できなかったが、2019年にはフランス自動車連盟(FFSA)のフランスF4に初参戦し、7レース目となるスパ・フランコルシャン戦のレース1で初優勝を遂げたが、ドライバーズランキングでは7位に終わった。
冬の間にF4 UAEに参戦した後、ハジャーは2020年もフランスF4に参戦。今度は3勝と11回の表彰台を獲得しドライバーズランキング3位となった。ちなみに、この時のランキング1位とランキング2位は岩佐歩夢と佐藤蓮だった。
2021年にハジャーはR-ace GPからフォーミュラ・リージョナル・ヨーロッパ(FRECA)に参戦し、モナコ戦とモンツァ戦で優勝。グリッドにはF2でも対峙したポール・アーロンやゼイン・マローニ、フランコ・コラピントといった面々もいた。
この年、同じく来季F1デビューを果たすF2王者ガブリエル・ボルトレトもFRECA初年度だったが、ハジャーがランキング5位だったのに対してランキング15位となっていた。
ハジャーは2022年からF3にステップアップ。3勝をマークしてランキング4位となった。この年からF1サーカスの仲間入り。そしてレッドブルの若手育成プログラムにも加入した。
F3を単年で卒業したハジャーは、2023年からF1直下のF2に挑戦。初年度はハイテックに所属し表彰台1回と難しいシーズンを送ったが、カンポスに移籍した2年目はシーズン4勝をマークした。ボルトレトとタイトルを争う大一番となった最終戦アブダビのフィーチャーレースでは、スタートでまさかのエンジンストールを起こし、ランキング2位となった。
ハジャーはF2に参戦する傍ら、2024年にレッドブル・レーシングとRBのリザーブドライバーに就任。2023年から2024年にかけてアルファタウリ/RBとレッドブル・レーシングでF1のフリー走行1回目に4回出走した。
■ハジャー「F1に足る存在だと示せた」
見ての通り、ハジャーは大きなシリーズで1度もタイトルを獲得することなく現代F1のチャンスを掴んだ数少ないドライバーのひとりだ。しかしジュニアカテゴリーの数字だけが全てではないとハジャーは考えている。
「正直に言って、僕はもうF2で十分なモノを見せてきたと思う」とアブダビでハジャーは語っていた。
「土曜日と日曜日のことは僕の将来には影響しない。僕は自分のため、チームのためにタイトルを獲得したいんだ」
「正直なところ、今はただ、このタイトルをどうしても勝ち取りたいんだ。僕にとっては厳しいシーズンで、どん底の連続だったけど、それでも僕は戦っている」
ハジャーは2024年のF2タイトルを獲得できなかったものの、シーズン終了後のF1ルーキーテストに角田と共にレッドブル・レーシングから参加し125周を走り切った。参考タイムではあるものの全体15番手だった。
ハジャーは2025年のF1に向けて、かつてニコ・ロズベルグやニコラス・ラティフィがつけていたカーナンバー6を選択。これはハジャーがカート時代に使用していた数字だ。
■実は大の日本好き?
前述の通り、既にハジャーは岩佐、佐藤ら日本人ドライバーとも関わりがあり、角田に関してはレーシングブルズからのF1昇格に際して尊敬の意を示していた。
「ユウキと共に働き、そこから学ぶことを楽しみにしている」とハジャーはチームを介して語った。
「僕は常に彼を尊敬してきた。僕と同じようにレッドブルのジュニアプログラムを経験し、F1への道を歩んできたからね。彼はとても経験豊富だし、良い勉強になるはずだ」
またハジャーは4歳で柔道を始め、カートに専念するため、その道を諦める前までに黒帯の一歩手前である茶帯を獲得。2019年に初めて日本に来日し、2022年にも再訪。好きな食べ物は日本食、好きな場所は東京だと以前、公言していた。
2023年のF2公式サイトのインタビューに答えたハジャーは次のように語っていた。
「初めて日本に行ったのは4年前の鈴鹿だった。初めての土地だったけど、素晴らしい5日間を過ごした。僕は日本が大好きなんだ。去年の夏には東京に行ったよ」
「鈴鹿でのドライビングは……どうランク付けをしていいか分からない。僕としてはモナコに匹敵すると思う。日本は雰囲気がとても特別なんだ」
また、レーシングドライバー以外の道を進んでいたら、どうなっていたかと思うかと聞かれたハジャーは柔道選手になっていたかもしれないと明かした。
「言うのは難しい。レース以外には全く興味がないんだ。子どもの頃、最初にやったスポーツは柔道で、4歳から始めた」
「ゴーカートに乗るようになって柔道はやめてしまったけど、そこそこのレベルにはなっていた。だから生涯柔道に打ち込んでいたら、かなり良い選手になれたと思う。黒帯の手前での茶帯でやめてしまったんだ」