「30代は薄毛に悩んでいた…」ブランド王ロイヤル森田社長がリーゼントにした驚きの理由…そして数億円福袋の売れ行きは?

東京・新宿で、長年ブランド品・ジュエリーの販売、買取を行なっている「ブランド王ロイヤル」。メディア登場多数の名物社長・森田勉氏の巨大なリーゼントでも知られる同店が、来たる2025年に創業40周年を迎える。加えて森田社長は来年80歳となるが、リーゼントはなんと「地毛」だという。
世界でも有数の繁華街である新宿に40年も店舗を構え、驚異的な若さと情熱を保ち続けている森田社長に、その人生と巨大リーゼントの誕生秘話を聞いた。
 

ハイアットリージェンシー東京の初期を担当していた

大学卒業後にホテルオークラで敏腕ホテルマンとしてバリバリ働いていた森田社長。結婚式の前金制度やホテルのレディースプランを生み出し、その才覚が認められた森田社長は業界では名のある人物へと成長していった。

「オークラで森田の名前を出せばなんとかなる」とまで言われるほど数々の伝説を作った彼に新たな転機が訪れる。

1979年のこと、小田急電鉄が新宿に高級ホテルを作るということで、生え抜きのメンバーとして、当時のオークラの専務らとともに新ホテルへ移ることになった。

「それが今のハイアットリージェンシー東京です。私は営業部に配属されました。オークラ時代の不良債権回収で学んだ人心掌握術を、どう営業に活かそうかと腕が鳴りましたね。

まずは他のホテルで行なっていた会合や宴会を、ハイアットに乗り換えてもらう…というのがミッションでした。

企業の担当者に連絡しても、彼らは営業を断るセクションで決定権もない。生産性も効率も悪いなと思い、決定権のある社長に直接会ってプレゼンする方法“営業学方程式”を考案しました。

『やはり新しい建物のほうが気分もいいでしょう』『料理は世界最高レベルのシェフが作ります』『豪華なフルーツ盛りや、バニーガールもいかがでしょう』『社長にはVIP対応カードを差し上げます…』などと、相手の気になる事を先回りしてクリアし、断る理由を与えないくらいのセールストークで相手の懐に入り込むのです。

また、社長が外出していていなくても、対応に出てくれた社員さんや秘書さんに丁寧に接する。私の営業は猛烈だけど、誰に対しても礼儀を忘れない。これが大事です」

ここでもぶっちぎりの森田社長。営業の基準の目標額が300%、500%は当たり前。時には1314%という脅威の数字を叩き出したこともあったという。

そんなモーレツサラリーマンの森田氏にも、現在の姿からでは信じられない悩みがあった。

「一流ホテルの大きな宴会、それも宿泊付きの利益率の高い宴会を根こそぎ持っていってしまったから、かなり恨まれたとは思います…。

その呪いもあったかもしれませんが、30代なかばくらいから、薄毛に悩まされましてね。

頭頂部が薄いものだから、“薄い”コーヒーであるアメリカンコーヒーから取って、あだ名は「ミスターアメリカン」。

なんとかしたいと思いながら、いっぽうで当時はバブル景気の初期で、不動産価格が急上昇していることも気になっていた。これからは、不動産仲介業だと思ったんです。

男ならば、一国一城の主になりたいものだと、40歳を目前にハイアットを退職しました。それから3か月間、毎日10時間の猛勉強をして宅建を取得。現在の会社『ロイヤルシステム』を設立したんです」

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「ブランド王ロイヤル」誕生秘話

ホテルの営業マンから、脱サラして中古不動産の仲介を始めた森田社長。不動産仲介も独特の方法で、1日10件以上の売買契約を達成するまでになったそうだ。2000件の仲介実績でNHKの番組で紹介されたこともあり、最高時は年商60億円という偉業を達成した。

「この不動産ブームで感じたのは『ブーム』の力です。ブームには爆発的なエネルギーがあり、日本中を動かすパワーがある。

そこで、徐々に人気が出始めていた『高級ブランド』に目を付け、海外に買い付けに行き、新作バッグを女性ファッション誌の編集長に持っていきました。

その結果、1200回以上マスコミに出演することになって、『ブランド王』と呼ばれるようになりました」

現在までの流れが見え始め、社長はついにトレードマークの秘密を語り出す。

「人生が落ち着いたからでしょうか。今度は髪の毛も生えてきたんです。“これはいける”と思い、自身を実験台にして独自で育毛の研究を始めました。

『大豆イソフラボンとカプサイシンを一緒に摂ると発毛につながる』と研究論文にあったので、キムチを乗せた豆腐や納豆を毎日食べるようにしたり、洗いすぎと界面活性剤がよくないともいうので、洗髪は2日に1回、シャンプーではなく石鹸を使うようにしたり。

おかげでフサフサになっていきましてね。伸びた髪を切るのが忍びなくて、整髪剤で頭上に烏帽子みたいに立てるようにしたんですよ」

収入面の安定と頭皮の安定。そんな森田社長がリーゼントにしたのは、偶然の結果からだったそう。

「ある日、愛車のロールスロイスに乗ろうとしたら、頭頂部がドーンと天井にぶつかってしまいましてね。

これは困るな、でも髪は伸ばしたい…ということで、ならば今度は髪の毛を前に固めることにしたんです。

その髪型を見た知り合いが「社長、リーゼントにしたの? かっこいいね!」と。そこでひらめいて、理髪店に行って、本格的なリーゼントを作ってもらうことにしました。

もう30年でしょうか。この頭とも長い付き合いになりましたね」

現在79歳の森田氏だが、ご自慢のリーゼントは、逆毛は立てているものの、アンコ(詰め物)は特に入れていないという。

「ヘアセットには、行きつけの2軒の理髪店があって、予約が取れた方に行っています。でも、急にセットしなくてはならない場合は、自分でも仕上げられるようになりましたね。大体20分くらいで、チャチャッとやってしまいますよ」

リーゼントが巨大になるにつれ、森田氏の知名度も上がっていった。

「ブランド王」と名付けられ、取り上げられた新聞雑誌は2000以上、テレビ出演も1200回を超えているという。毎年恒例の、価格が数億円という「ブランド王福袋」もおなじみだ。

「新作のブランド品とか、ビル一棟の権利なんかも入れてるから、それくらいになっちゃうんですよね。すごくお得なのに、まだ購入者がいないんです。なんでなのかな?」

お茶目な一面を見せる森田社長。周りの人々から愛される理由はその人柄にもあるのだろう。そんな社長のいるブランド王ロイヤルの店内には、神社がある。

「生き馬の目を抜く新宿で、40年も商売を続けられたんだから、ここはパワースポットなんですよ。その証に作っちゃいました」と、自身を模した御神体の前で、満面の笑みを浮かべる森田氏。

ブランド王は、もはや新宿の「髪」ならぬ「神」なのだった。

PROFILE 森田勉●1945年、東京生まれ。ホテルオークラ、ホテル小田急センチュリーハイアット(現ハイアットリージェンシー東京)勤務を経て、1985年、不動産仲介業「ロイヤルシステム」設立。1995年「ブランド王ロイヤル」を新宿西口にオープン。買取強化期間は社名を「買取王ロイヤル」に変更。メディア出演多数。また40年前からボランティア活動をライフワークとし、ロータリークラブ・東日本大震災・ユニセフなど、収益の一部を子ども食堂に寄付。「森田式少子化対策」の国家ビジョンを確立し、国とともに協議を行っている。

取材・文/木原みぎわ