約2年前、英国出身エドワード・ベルガー監督の独語映画『西武戦線異状なし』(2022)が、第95回アカデミー賞で作品賞ほか9部門にノミネートされ、国際長編映画賞、美術賞、撮影賞、作曲賞の4部門を受賞した。今年もまた、同監督の新作『教皇選挙』が第97回アカデミー賞有力候補として話題。今回、監督が選んだ戦場は厳戒態勢下のバチカン市国。元首であるローマ教皇が急死。世界各国から100人を超える候補者が集まるなか、新教皇を選ぶ議会がシスティーナ礼拝堂の扉の向こうの密室で行われる。主人公を演じる熟年レイフ・ファインズの演技が光る最新映画。黒煙が白煙に至るまでのバチカン投票の裏にどんな壮大なドラマがあるのか。日本公開が3月20日に決定。このコラムでは全米での話題をご紹介。
モラルコンパスの指針
この映画の原作者、英国作家ロバート・ハリスは英国の元ジャーナリスト出身で、BBCやオブザーバー紙の政治部編集長などを得て、ノンフィクション作家となった政治肌の作家。最初のベストセラー小説「ファーザーランド」(1992)はナチスが第2次世界大戦に勝利したという設定で描かれた国家規模のミステリー小説でテレビ映画化。その後に出版された「アルハンゲリスクの亡霊」(1999) もダニエル・クレイグ主演でテレビ映画化され、ソビエト連邦のスターリンの秘密をめぐる題材もスリリングだった。ハリスの想像力は史実をもとに大きく展開され、日本ではほかに「ポンペイの四日間」(2003) や「暗号機エニグマへの挑戦」(1996) などが訳されているが、権力争いによる泥沼の戦いをテーマにした著書が多い。彼の原作から脚色された映画は、俳優ユアン・マクレガー主演の『ゴーストライター』(2010) 、第96回アカデミー賞で脚本賞を受賞した『落下の解剖学』(2023) の主演女優サンドラ・ヒュラーも出演する『ミュンヘン:戦火もゆる前に』(2021) など多数。映画『教皇選挙』の原作となった書籍「教皇選挙」は、NYタイムズ評では、タイトに編みこまれたローマンカトリック教会幹部のパワー陰謀の図式と称賛されている。
ドイツ出身エドワード・ベルガー監督が初英語映画を監督するに至った背景には、製作スタッフの存在がある。プロデューサー、テッサ・ロスは、映画『リトル・ダンサー』(2000) 、『エクス・マキナ』(2015)や『アイアンクロー』(2023)などの秀作をプロデュースしている英国で最も影響力のある女性プロデューサーの一人。そのプロデューサーが権利を確保したロバート・ハリス原作本に、脚本家ピーター・ストローハン(映画『裏切りのサーカス』(2011) の)が決定したことが監督の意欲を掻き立て、チーム結成となった。映画の本筋は原作に忠実だが、枢機卿の出身地が映画向けに故意に変更されている部分もある。とくに主人公の名前がロメイ枢機卿からローレンス枢機卿と変わっていることに意味がある。ロメイというイタリア起源の名前からローレンスに変わった背景には、ローレンスという名前が世間でより知られている名前で、普遍性や公平なアイデンティティを表す名前としてふさわしいとされたのだそうだ。(米スクリーン・ラント)さらにベリーニ枢機卿をアメリカ人にしたことで、21世紀カトリック教徒のグローバルな世界位置関係も確立。伝統を重んじるヨーロッパの価値観よりもリベラルなアメリカ人枢機卿を前にだすことで、同じ宗派でも、ここの文化や背景の違いで考え方が違うことが明らかになるよう脚色されている。
そういった文化の違う枢機卿たちの中から、新教皇を選ぶという難題を解いていく物語の舞台は、架空の現在。教皇が死に至ったあと、全世界のカトリック教会の枢機卿がコンクラーベ(新教皇を選出する会議)に集められた。ローレンス枢機卿は選挙の議長を担うように旧教皇から指名された人物。候補者の1人テデスコ枢機卿は古い価値観や慣習を推し進める悪しき伝統派。トレンブレ枢機卿は北米出身の野心家。アフリカ人のアデイエミ枢機卿もまたゲイマリッジなどに不賛成。それぞれの派閥が支持する枢機卿の後押しが激化する中、誰も聞いたことのない枢機卿がひょっこり現れる。彼は、アフガニスタンの危険地帯カブールを代表する枢機卿ヴィンセント・ベニテス。元教皇が緊急時のために秘蔵していた唯一、元教皇の意思を反映できる人物。枢機卿同志の足の引っ張り合いで泥沼化する議会で、21世紀のローマンカトリック協会の未来を託せる人間はいるのか?ローレンス枢機卿議長が自らの信仰の根源に立ち戻り、難題の道を切り開いていくドラマには、かなり驚きのエンディングが待っている。
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バチカンバトルを担う俳優たち
レイフ・ファインズ
英国を代表するプリンス的存在だったレイフ・ファインズは助演男優賞『シンドラーのリスト』(1993) 、主演男優賞『イングリッシュ・ペイシェント』(1996) のアカデミー賞ノミネーションを経て、この『教皇選挙』では、最有力の主演男優賞候補となっている。大ヒットした『ハリー・ポッター』シリーズでは、それまでの路線とは大きく違う、恐ろしいヴォルデモート卿をシリーズ4作目(『ハリーポッターと炎のゴブレット』(2005)から演じ、『007』シリーズのM役でもまた、フランチャイズ映画の主要キャラクターを常に印象深く演じてきた。ベルガー監督は、この映画はアンサンブル映画であらゆる人物が登場するが、拠り所はファインズだと語る。彼が何を疑い、考え、そのモラルの指針が物語の原動力。ファインズの鋭い目力とエネルギーを全面に出せるようなカメラワークにこだわったそうだ。
スタンリー・トゥッチ
「Searching for Italy」(2021~) という料理旅番組で、新たな人気を博して、料理本まで出版している俳優スタンリー・トゥッチ。『プラダを着た悪魔』(2006) や、『ハンガーゲーム』シリーズなど、大衆映画でも好感度抜群で、『ラブリーボーン』(2009) でアカデミー賞助演男優賞にもノミネートされた。イタリア系アメリカ人俳優のスタンリー・トゥッチがこの映画で演じるのがアメリカ人ベリーニ枢機卿。誠実なローレンス枢機卿を諭す話し相手というカリスマのある役を好演している。
ジョン・リスゴー
ハーバード大学中に演劇に目覚めたというジョン・リスゴーは、ハリウッド映画全盛期から活躍するベテラン俳優。『ガープの世界』(1982) 、『愛と追憶の日々』(1983) でアカデミー賞助演男優賞に2年連続ノミネート。テレビドラマにも早くから活躍し、「3rd Rock from the Sun (原題2)」(1996~2001) などで3度エミー賞主演男優賞を受賞。Netflixシリーズ「ザ・クラウン」(2016~2023) では、ウィンストン・チャーチル首相を好演し、再度エミー賞で助演男優賞を受賞。『教皇選挙』では、ご都合主義的なトレンブレ枢機卿を演じていて、現在79歳のベテランの存在感は抜群である。
イザベラ・ロッセリーニ
父はイタリアの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督で、母親は女優イングリッド・バーグマンというイザベラが演じてきたスクリーン上の人物も個性派。デヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』(1986) や『ワイルド・アット・ハート』(1990) など、独特でミステリアスな女性像が印象的だった。最近ではインディー映画の秀作『墓泥棒と失われた女神』(2023) など、出演する役ごとに全く違う魅力を発揮。私も過去にインタビューしたことがあるが、インタビューテープを送ったことへのお礼の手紙までくれるほど、とても真摯な女優。ほぼ紅一点となるこの映画の役どころは、男性枢機卿の逐一を知り尽くしているシスター・アグネス。バチカンという女性の地位の低い場所にありながら、彼女の冷ややかな表情は映画の中で不可欠で、幾層に隠された新教皇選挙の政治的企みや私欲を暴き出すきっかけを促すなど、シスターの役どころがおもしろい。映画が撮影されたローマ郊外のチネチッタ撮影所に子供の頃から入り浸っていたイザベラに対し、撮影スタッフもタイムスリップしたような感覚に酔ったなどの小話もある。
巨大なシスティーナ礼拝堂セットで入念におこなわれた衣装合わせなど、観客が見たことのない世界観を構築しているこの映画。そのほかのキャストも豪華でアンサンブルで見応えがあるなか、世界中探してやっと見つかったというメキシコ人俳優カルロス・ディアスのベニテス枢機卿の演技も秀逸。
第98回アカデミー賞から、2025年公開映画を対象に、新カテゴリー、Achievement in Casting (キャスティング貢献賞) が加わることが発表された。この映画のキャスティング・ディレクター、ニナ・ゴールドは大ヒットTVシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」や映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」など名作の裏方として有名。来年第97回のアカデミー賞対象にはならないが、アンサンブルの顔触れは確実にニナ・ゴールドの手腕が生きている。
文 / 宮国訪香子
映画『教皇選挙』
全世界に14億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者にして、バチカン市国の元首であるローマ教皇が死去した。悲しみに暮れる暇もなく、ローレンス枢機卿は新教皇を決める教皇選挙“コンクラーベ”を執り仕切ることに。世界中から100人を超える強力な候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうで極秘の投票が始まった。票が割れるなか、水面下で蠢く陰謀、差別、スキャンダルの数々。ローレンスはその渦中、バチカンを震撼させるある秘密を知る。
監督:エドワード・ベルガー
原作:ロバート・ハリス著「CONCLAVE」
出演:レイフ・ファインズ、スタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、イザベラ・ロッセリーニ
配給:キノフィルムズ
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2025年3月20日(木・祝) TOHOシネマズ シャンテ 他 全国ロードショー
公式サイト cclv-movie