2024年1月1日に発生した能登半島地震と、同年9月21日から23日にかけての能登半島豪雨からの復興支援として、能登の地酒づくりに密着したドキュメンタリー映画『一献の系譜』(15)のチャリティ上映が2025年1月11日(土)13時より池袋シネマ・ロサにて開催されることが決定した。
チャリティー上映のチケットは現在販売中! / [c]2015映画一献の系譜製作上映委員会/ Ikkon- Film Partners
木版染め職人を記録した『めぐる』(06)や能登半島に古くから伝わる塩づくりに励む人々の姿を追った『ひとにぎりの塩』(11)を手掛けた石井かほり監督がメガホンを取った本作。日本四大杜氏のひとつである能登杜氏の仕事を見つめ、いまや希少となった本物のものづくりに懸ける職人の姿と、それを追いかける後輩たちから「人間がなにかを信じ突き進む姿の美しさ」に迫っていく。
今回行われるチャリティ上映では、上映後に輪島市の白藤酒造店の白藤暁子、能登町の松波酒造の金七聖子、能登町の鶴野酒造店の鶴野晋太郎といった能登の蔵元の方々をゲストに迎え、石井監督の司会のもとトークショーも実施。また、映画鑑賞後に地酒を楽しむことができる試飲会も実施される。チケットはシネマ・ロサの公式サイトにて発売中。
上映会の売上の一部と、当日会場に設置される募金箱に集められた全額は「ほくりくみらい基金」へ寄付されるとのこと。是非とも足を運び、能登の美しい景色と風土、そして人々の姿をスクリーンを通して感じてみてはいかがだろうか。
<コメント>
●伊部知顕(株式会社ロサ映画社代表取締役社長)
「2023年11月12日、僕は初めて能登半島に降り立った。緑と紅葉が半々の森のなかに『のと里山空港』はあった。空港を出た瞬間、透明感のある空気が口に入ってきた。その日はたまたま大雨であったが、それもまた自然の一部に感じた。レンタカーを借り『のと里山海道』を走ると、途中海外沿いの道に出た。日本海が荒々しく波打っていた。早くも冬の海であった。海岸沿いに所々塩田を見た。これが能登伝統の揚げ浜式塩田である。目的地につくまでに能登半島の生活の一端と厳しさを見た。今回の旅の目的は『奥能登国際芸術祭2023』を見に行くことだった。
各会場では地元のお爺ちゃんやお婆ちゃんが、一生懸命芸術祭を盛り上げていた。たくさんの地元の人たちと交流し、お昼には美味しいお魚を頂いた。芸術祭で盛り上がる能登の人たちの笑顔にたくさん出会えた。そして一月半後の2024年1月1日。新しい年のはじまりに能登地震は起こった。テレビをつけて能登の光景を見た瞬間、能登の人たちの笑顔を思い出した。あのお爺ちゃんやお婆ちゃん達は無事だろうか。祈るような気持ちだった。そして初めて地震を身近に感じた。さらに9月21日からの豪雨である。神様はなんて惨いことをするのかと思った。これは能登の人だけでなく、日本人、そして人類に対してのメッセージなのか?
震災から3日後の1月4日に、母校暁星小学校の同級生である岩城慶太郎君から『能登の映画を上映してくれないか』と連絡がきました。彼は初めて能登半島を訪問した時にも、現地を案内してくれたのです。もちろん二つ返事で了解しましたが、中々上映の機会を作れず一年越しにチャリティ上映が実現しました。石井監督の『一献の系譜』は、能登の生活や文化の一端を知ることができるすばらしい作品です。僕のなかでは『能登を忘れない』というメッセージを伝えたいと思っています。この映画を見た人それぞれができることを考え、行動に繋がることを祈ります。最後に今回の上映会にご協力いただいた皆さま全員に感謝申し上げます」
●白藤暁子(白藤酒造店/輪島市)
・蔵の紹介
能登半島の先端部分の奥能登・輪島に蔵を構え、現在9代目蔵元夫婦(社長が杜氏、妻が麹を担当)で高品質の酒造りを目指している。創業は8世紀はじめに廻船問屋として始まり、江戸時代末期(19世紀中頃)から酒造業を始めた。2007年3月の震度6強の能登半島地震では蔵は全壊となったが、同年一部を残して新築し、新たな出発を果たした。生産規模は小さいながらも、2017年には全日本空輸(ANA)の国際線ファーストクラス提供酒に選出され、また、世界農業遺産に認定された能登の里山を活かした自然栽培米の“食用最高級コシヒカリ”を原料とした日本酒を誕生させるなど、その挑戦は留まることを知らない。
・蔵の現況
2024年1月1日の震災で酒蔵と住居は全壊となった。酒蔵のメイン部分を残し、店舗や事務所、貯酒蔵などは解体。釜場の地盤改良・築炉、被災したタンクの入れ替えなどを済ませ、できる範囲での酒造りの再開を目指している。目標は来年の3月!
●金七聖子(松波酒造/能登町)
・蔵の紹介
明治元年創業。銘柄「大江山 おおえやま」は京都の大江山に住むと言われる鬼・酒呑童子の如く豪快に飲んでほしいとの願いを込めて命名。木造2階建ての酒蔵で能登杜氏による極寒仕込みを続けていた。金七家と地元の方々で半島の隅で紡がれている漁師町の地酒。和釜に甑で米を蒸し、自然の寒さを味方に醪管理、そして現代では希少な木製の槽で全量を丁寧に搾る。日本酒のほかには自家農園の果実で柚子や梅、柿のリキュールも製造。「荒海の幸からデザートまで楽しく乾杯でご縁を繋ぎたい」そんな思いで地元の幸と季節のお酒をペアリングする楽しみを酒蔵見学やライブ配信とSNSで伝えていた。
・蔵の現況
能登半島地震で蔵も自宅も全壊しました。できることから始めていて、酒米や酒を取り出して県内外の酒蔵でお酒にしました。9月には公費解体を終えて、春以降に仮店舗から始めるための準備中。この冬も酒蔵加越や木花之醸造所で協力醸造を行う。命がけで取り出したお酒には長期熟成酒ブランド「双心そうしん」もあり、ハイクラスの日本酒として伊勢丹「丹青会」、バーニーズNY特招会などで販売中。
●鶴野晋太郎(鶴野酒造店/能登町)
・蔵の紹介
1789年に創業した230年以上続く石川県能登町に位置する小さな酒蔵です。代表銘柄は、「谷泉」。能登は2011年世界農業遺産「能登の里山里海」に認定されました。農林漁業によりもたらされる多くのめぐみ、美しい景観、各地区で守り伝えられてきた祭礼や伝統技術を大切にする町です。地域の名産品としては、日本三大魚醤油に数えられる「いしり」があり、発酵食品も数多くあります。発酵文化が豊かに根付いている漁業が盛んな小さな港町に酒蔵があります。
能登は祭りが盛んで、祭りには神様にお供えするために日本酒は欠かせないものです。祭りという大切な伝統文化を支えるために、地元に寄り添った酒造りを230年以上続けてきました。私たちは、2024年1月1日令和6年能登半島地震で酒蔵・店舗のすべてが潰れる全壊の被害に遭いました。能登での再建を目指して、いまできることを1つずつ、1歩1歩前に進んでおります。
・蔵の現状
現在、酒蔵解体中。全国の酒蔵様から共同醸造という形で、多大なるご支援をいただき、酒造りを続けています。
●石井かほり監督
「2009年に能登半島に初めて降り立ってから約10年、能登と深く関わってきました。その間、能登を舞台にドキュメンタリー映画を2本監督。その他、能登の食材イベントや着地型ツアーを企画するなどして、いまのわたしの根幹は能登半島で作られたと感じています。2024年は、年明けの大震災と9月の豪雨で、まさに激動の一年でした。発災直後から映画屋の生命線である“上映権”を放棄した“チャリティ上映会”の呼びかけは、瞬く間に国内外に拡がり、230件を超える申し込みと1400万円を超える寄付金を能登へ送ることができました(現在も上映希望者募集中)。
9月の豪雨以降は、泥かき要因として現地に出向き、災害ボランティアの敷居を下げる試みもしてきました。拠点を東京に持ちつつも魂は能登に在るという感覚で、『能登とは関係がないがなにか応援したい!』という方々の想いを能登へつなげる“道しるべ”のような役割を務めて参りました。
しかし、内心は様々な想いがありました。最初は映画で観たすばらしい里山里海の再建を夢見ていました。しかし、被害の大きさに同じ景色は二度と観られないのではないかと思った時、どこに向かえば良いのか分からなくなりました。そして、どんなに能登を身近に想っても、到底被災した方の辛さは理解できないことに切なさも感じました。それでも、この先もあの地で暮らすと決めている人たちの顔が思い浮かぶ以上、応援するぞ!と、気持ちを奮い立たせてきました。
それに、能登へ行くと能登の方々のタフさに却って元気をいただき、“自然と共に暮らす”とは、恩恵を受けるだけでなく、その厳しさも享受する覚悟を持つということなのだと、自分が能登のなにに惚れ込んでカメラを回してきたのか改めて気づかされたりもしました。しかし、9月の豪雨でギリギリ踏ん張ってきた一本の糸が切れてしまった気がしました。それは能登に暮らす方々の様子からも感じられ、能登の人たちから笑顔が消えたようにも感じる出来事でした。
それに公助の手薄さや都心部の能登関連の報道の少なさは、短期で経済効果が見込めない土地は切り捨てるという無言の抵抗勢力のようにも感じられ、前に進む勇気を失いかけたりもしました。でも思い返せば、映画を撮影した時も、都心部の便利な貨幣社会こそが正解で、不便で厳しい環境を不正解として切り捨てて来た現代社会への憤りと問いかけを根底に持って制作していたので、今更自分が“マイノリティ側”であることに自信喪失し、立ち止まることも違う気がしました。
映画の問空しく、地方の過疎は進み農業は手放され、文化や祭りがいくつも消滅しているのに、都市の一部だけが“開発”され続けているいまの日本は、世界経済のなかでどうなったでしょうか。では、もう手遅れなのか?と言えば決してそうではないことを、今回のチャリティ上映活動が証明してくれたようにも思うのです。チャリティ上映で集められた巨額の寄付金は、能登に寄せられるたくさんの方々の想いそのものなのだから。
また、能登が好きで東京から移住し、被災した後はボランティアの受入れ拠点となった方が、『もちろん、未来に不安はある。だけど、震災が無くても20年先には同じ問題と向き合うことになっていたと思うし、もしかしたら成す術なく終わっていたかも知れないところを、震災が起きたことで注目され、本当にたくさんの方が援助くださっているので、“新しい時間を刻む時計”を手にしたような感じがしているんです。だから不安はありつつも、まずは“実践者”として、自分が愛した里山の再建に取り組もうと考えています」と話してくれました。
わたしの心に支えていたものが一気に流れるのを感じました。能登に根を下ろしていないわたしはとても脆く、ノイズに度々心折れそうになります。しかし、厳しい状況下でも確かに一筋の光を見ながら前に進もうとしている“土地に根付いた強い言葉”はわたしの背中を再びしっかり押してくれたのでした。さあ、みんなで“新しい時計の針”を進めて行こうじゃありませんか!」
文/久保田 和馬