飛行機に初めて乗った22歳の春のこと。
映画の撮影現場の雑用全般を請け負って、鹿児島県を訪れました。
旅を満喫する時間を味わうこともなく、
到着直後から目の前のタスクをこなすことに必死で分刻みのスケジュールが始まりました。
空港から拠点となる志布志市まで約1時間半、
リムジンバスの窓に顔をつけ、
曲がる場所を全てメモ帳に記入し、
ホテルに到着後、地図帳で通ってきた道を復習し、頭の中に叩き込みます。
スマホのナビゲーションシステムなどなかったのですから。
それに加え、毎日、俳優やスタッフのドライバーにロケ先までの地図も作らなければなりません。
俳優が一人でいらっしゃる場合、送迎をまかされることも多い。
空港とロケ地までの往復を全て頭に入れておかなければなりません。
しかも映画は昭和初期の話で、現代の建物が映り込まない田畑の風景のロケ地が多く、道案内になるような目印も少ない。
「精霊がいそうなクスの木を通り過ぎ、次の道を右」など、
自分しかわからないロケ先までの道順のメモを作り、必死に道を憶えました。
撮影の合間をぬって80km先の鹿児島空港まで俳優を送り届け、
ロケ地まで戻る際、自販機で缶コーヒーを買って、車内で一人の時間になった時が、唯一の「ゆるい」時間でした。
あれから30年。
久しぶりに志布志市の街を歩き、想い出の引き出しを次々と開けながら、ついついほほ笑んでしまいます。
「必死」の後の「ゆるい」幸福が身体に刻まれているのでしょう。
ゴムもゆるいままだと延びてしまいます。
時にはゴムがピンと張る「必死」は私にとって必要だったのかもしれません。<text:イシコ>