ロサンゼルス・レイカーズのレジェンド、コビー・ブライアントは20年の現役生活すべてを同球団に捧げ、輝かしい栄光を手にするとともに、ライバルたちと数々の名勝負を演じた。守備職人としてしのぎを削ったトニー・アレン(元メンフィス・グリズリーズほか)が、マッチアップの苦労を語っている。
コビーはNBA20年間で通算1346試合に出場し、歴代4位の通算3万3643得点を誇る。リーグタイトルも3連覇(2000~02年)、2連覇(09、10年)と計5回手にし、06年には歴代2位の1試合81得点を記録。ヘリコプター墜落事故で命を落とした2020年には数々の功績が認められ、バスケットボール殿堂入りを果たした。
「常に最高の自分になろうと努力を続けること」を追求するマインドは愛称の“ブラックマンバ”から“マンバ・メンタリティ”と呼ばれ、多くの現役選手に今なお受け継がれている。
2008年にボストン・セルティックスでリーグ優勝を経験し、オールディフェンシブチーム選出6回(1stチーム、2ndチーム各3回)と守備のスペシャリストとして鳴らしたアレンは、グリズリーズ時代の同僚ザック・ランドルフとともにホストを務めるポッドキャスト『Out The Mud Podcast』でコビーとの対戦を回想した。
「彼のフットワークは素晴らしい。バスケットにドライブしているように見せて、スピンしてフェイダウェイするんだ。あのフットワークだけで、酔いそうになる」
アレンの中で忘れられない試合があるという。それが、2005年2月22日に行なわれたレイカーズ戦、4歳上のコビーとの初対決だ。
「彼は私がNBAで初めてファウルアウトさせられた選手だ。ファウル6回、8分間でだ。自分のルーキーイヤーだった」
先発したアレンは開始わずか16秒でコビーにファウルしてフリースローを与え、その約2分後にも2度目のファウルでベンチへ。後半も短時間でファウルを重ね、第4クォーター終盤に6つ目を喫して退場。プレータイムはわずか7分52秒だった。
以降、アレンはコビーと計24回対戦。平均25.5点を許したものの、フィールドゴール成功率42%に抑えており、後年はコビーも「最も手強いディフェンダーはトニー・アレン」とその実力を認めていた。
アレンは今は亡きスーパースターについて、「ヘッドフェイク、プルアップ、ポンプフェイク、スピン、あらゆる“ジャブ”を入れてきた。驚くべきスキルだった」と、当時の衝撃を振り返っていた。
構成●ダンクシュート編集部