美空ひばり (C)週刊実話Web

『NHK紅白歌合戦』が「年の瀬の風物詩」と呼ばれたのは今や昔の話。しかし、一世代前には令和の現代では考えられないような、ハプニングも放送されてきた。

視聴者や出演者のド肝を抜いた伝説の事件、放送事故スレスレの危ないパフォーマンスをプレイバック!

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紅白の不祥事や放送事故は、出場権を得て舞い上がった歌手がやらかすのが恒例だが、その中でも“異質”だったのは1984年(昭和59年)の放送で、総合司会を務めたNHKの生方恵一アナが起こした「ミソラ事件」だろう。

この年の大トリを務めたのは、紅白への出演で引退を表明していた都はるみだったが、彼女が『夫婦坂』を熱唱し終わると、白組司会の鈴木健二アナが「私に1分間だけ時間をくださ~い」と舞台中央に出てきてアンコールを要求。

都がこれを承諾し、オーケストラがヒット曲の『好きになった人』を演奏し始めたが…。

「都はるみは涙が止まらず、歌えない状態。そのため、紅組出場歌手らが都に駆け寄り、皆で大合唱したのです。この姿に観客や視聴者ももらい泣きし、番組は終盤に最高潮に達した」(古参の芸能記者)

ところが、曲が終わるとあろうことか生方アナが「たくさんの拍手をミソラさんに…」と言い間違え、観客や視聴者が凍りつく。

また、『好きになった人』を歌い終えた後には涙の引退の花道が待っていると信じていた都はるみも落胆させた。

都はるみを美空ひばりと取り違える“世紀の大トチリ”をしてしまった生方アナは、翌年大阪に飛ばされ退職。フリーアナウンサーとして活躍し、2014年に肺炎で亡くなったが、後年「放送の仕事は消しゴムが効かない怖さがある」と語っていたという。

吉川晃司は後年『あさイチ』で謝罪

もっとも、こうした悲惨なハプニングとは対照的なのが、放送事故も厭わないアーティストたちの悪ノリぶりだ。

1958年(昭和60年)に『にくまれそうなNEWフェイス』で初出場を果たした、吉川晃司の「破壊パフォーマンス」は、まさにその筆頭と言えるだろう。

「この年、白組のトップバッターを飾った吉川は、傍若無人の限りを尽くしました。白組なのに全身深紅の衣装で登場すると、歌を歌いながらシャンパンボトルをラッパ飲みしたり、ぶちまけたり。さらに、予定になかった観客席まで降りていくパフォーマンスを演じ、揚げ句はギターに火をつけ、叩きつけて破壊するという凶行を繰り広げた」(同)

ただ、紅白が被った被害はこれだけではなかった。

「次に出番の河合奈保子が、舞台を占拠した吉川のせいで曲の途中からしか歌えず、シャンパンに濡れたステージで他の歌手が転倒したりと出演者も戦々恐々。その影響で吉川は以後、NHKを10年以上も出禁になったのです」(同)

ちなみに、吉川は2022年、NHK朝の情報番組『あさイチ』にゲスト出演した際、司会の博多大吉に「紅白でもなんかやらかしてましたね」と水を向けられ苦笑。若いころを振り返り、「大間違いもいっぱいありましたけど…すいませんでした、本当」と謝罪している。