ノンフィクション本の新刊をフックに、書評のような顔をして、そうでもないコラムを藤野眞功が綴る〈ノンフィクション新刊〉よろず帳。最終回は、今年9月に急逝した批評家の福田和也を悼み、500ページのド迫力で刊行された『ユリイカ 総特集・福田和也』について。
福田和也、享年63歳
2023年に始まった本コラムの初回は「椎名誠と福田和也」だった。それから約1年が経ち、80歳になった椎名は今も酒を飲んでいるが、福田は逝ってしまった。まだ63歳の若さである。初回のコラムで書いたのは、椎名と福田のふたりが「似ている」という話だ。
〈ほとんど中毒者のように酒を飲み、日々深く酔っぱらうところ。早くに結婚し、一姫二太郎の順で子供を授かったこと。デビューした時期が10年違うが、いずれも雑誌の全盛期に書き手としてのキャリアを積み、あらゆる場所でコラムを書き、ゆうに百冊を超える著作を持っている〉【1】
評者はとくに説明もせずに〈雑誌の全盛期〉という表現を使ったが、これは雑誌が売れており、広告収入も潤沢にあったという意味だけを指しているのではない。「雑誌という器、あるいは出版社が濡れ手で粟のように儲かっていたこと」それ自体よりも、今回はそうした環境がもたらした「編集者の時代」にこそ注目してもらいたい。
『ユリイカ 総特集・福田和也』(青土社)の目次には、福田が敬愛した指導教授である古屋健三(仏文学者)や同窓の児島やよい(キュレーター)、伊藤彰彦(映画史家)などと並んで、「プロの書き手としての福田を支えた人々」の名前がずらり。この追悼号の影の主役は明らかに「雑誌の時代を謳歌した編集者たち」なのである。
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「正しい意見」と「力のある信念」
といっても、福田が最初に出会い、大きな影響を受けた編集者はいわゆる「雑誌の人」ではなかった。マイナーポエットのような版元として知られる国書刊行会の佐々木秀一だ。
大学の卒業論文にセリーヌを選んだ佐々木は〈対独協力、反ユダヤ、コラボラトゥール、ドリュ、ルバテ、ジュアンドー等々、概念と固有名詞が頭の中を脈絡なく廻っているだけで、実は卒業後も両大戦間から終戦直後のフランスの思潮・動向などさっぱり理解していなかった。だいたい何で天下の極悪人ヒトラーに「協力」した作家などが人間としてまともに論じられているのか?〉【2】と、セリーヌだけを特別視してその他のコラボ作家を見ないことにしていた1980年代当時の風潮に疑念を抱いていた
だが、若手の研究者たちにコラボラトゥール(対独協力作家)を集めたシリーズの構想を話してみてもけんもほろろに「説教」されるだけだったそうだ。〈貴殿がコラボに思い入れを抱くのは勝手だが、本邦にはまだ未紹介のレジスタンス系作家もいるし、シュルレアリストもいる〉【2】。
そんななか、友人の平田一哉から紹介されたのが、修士課程に進んだばかりの福田和也だった。同窓の先輩として初対面に臨んだ佐々木は、この出会いだけで、シリーズ「1945:もうひとつのフランス」を福田の案に基づいて編むことを決断してしまう。
〈脱帽である。福田の一種天才的な発想を聞く、初めての機会だった。少なくとも編集者が欲しいのは識者の「正しい」意見などではなく「力のある」信念である〉【2】
編集者が、まさしく編集者たりえた時代の「真実」は、この佐々木の一言に象徴されているだろう。「ポリティカル・コレクトネス――政治的な正しさ」ではなく、「力のある信念――覚悟に基づく面白さ」を書籍、あるいは雑誌の記事にする。それが編集者の本分だと信じていられた時代があったのである。そして、福田は7年の歳月をかけて『奇妙な廃墟』を書き続けた。