日本の歴代外相の中国訪問に身近に接してきた身にとって、先週の岩屋毅外務大臣の中国訪問ほど物議を醸し、国内で強烈な批判を招いたものはなかったように思う。
何故か?ひとつは、この時期に中国を訪問しなければならない理由につき、石破政権から満足のいく説明が全くされていないからだ。
トランプ再登板が決まった現在、自由民主主義陣営の国々は、トランプ第二期政権との関係構築に躍起となっている。アルゼンチン、カナダ、フランス、イタリア、ウクライナ等の首脳が、“トランプ2.0”との関係作りに励んでいることは公知の事実だ。しかるに、日本は石破首相との電話会談は僅か5分で終わり、南米訪問の機会を利用した面談の要請は体よく断られた。
石破・トランプで関係構築が上手くいっていないからこそ、総理を補完すべく外相が米国に赴き、マルコ・ルビオ次期国務長官とすり合わせをするのが当然に打つべき手だろう。とりわけ、ルビオ氏は日本の尖閣諸島領有権を明確に認め、総理大臣の靖国参拝について米国政府は云々すべきでないとの見識を有した有力上院議員だ。日本にとっては天の配剤とも言うべき人事だ。なのに、ワシントンでなく北京に飛んでしまった岩屋外相。戦略眼はあるのか?座標軸はどこ?と問われてやむを得ない動きだった。
第二の問題は、会談の成果だ。案件が山積している今の日中関係。外相同士が会う以上、諸懸案についての日本の主張を毅然と明確に伝えつつ、日本の国益に資す成果を確保しなければなるまい。在留邦人の安全の確保、日本産水産物に対する全面禁輸の即時撤廃、中国が日本の排他的経済水域や大陸棚に勝手に設置したブイの即時撤去、領海・領空への侵入防止など、外相レベルで厳正かつ強力に申し入れるべき事項はあまたある。
にもかかわらず、中国人観光客の訪日ビザ発給要件緩和がオールド・メディアのヘッドラインを飾るのは何たることか?日本国民の期待とは全くずれているとしか言いようがない。中国政府が講じた日本人観光客へのビザ免除に対する「答礼」なのだろうか?既にオーバーツーリズムに悩む日本各地の観光名所の実情を踏まえた措置とは到底思えない近視眼的対応だ。
さらに指摘すべきは、訪中に際しての対外発言、ボディー・ランゲージの絶句するほどの浅薄ぶりだ。事前インタビューで「中華文明はアジアの大文明、我々はそこから漢字、行政制度、宗教、全部学んでこの日本の国は出来た」と断定しただけでなく、「王毅外相と個人的信頼関係を作っていく」と宣明した岩屋外相。そして、その王毅との会談では先方がしかめ面をしている中で、本人は満面の笑みをたたえて写真撮影に応じた。日本の歴史に対する無知と皮相な理解、冷徹な分析が欠如したナイーブな外交観を露呈した次第だ。
こうした有様を見るにつけ感じるのは、かつての鳩山由紀夫民主党政権に似た迷走ぶりだ。「東アジア共同体」、「日米中二等辺三角形」といった新機軸が日米同盟に隙間風を吹かせ、中国の軽侮と侵略を招いた。未曽有の国難に直面している日本外交が二度と繰り返してはならない教訓の筈だ。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)がある。