画像はAIで生成したイメージ
関東某所に、親に見捨てられたり、虐待されたり、居場所がない少年少女が暮らす『里親ハウス・X』なるものがある。
「児童養護施設の個人経営バージョンみたいなものですね」と話すのは、オーナーの深田千尋さん(仮名・45歳)。
【関連】セレブ婚を夢見て整形美人に…夫に内緒の“顔面詐欺”が招いた人妻の「自業自得」 ほか
この『X』には18歳未満の少年少女が常に10人以上暮らしており、そのほとんどが家出中だったり、非行を繰り返すなどの問題を抱えているそうだが、千尋さん自身もかつては不良少女だった。
「私は物心ついた時から父親がいなかったんですよ。母は10代の時にチンピラだった父に騙されたような感じで私を産み、その後捨てられたみたいです。高校中退で学歴も手に職もない母は昼も夜も仕事を掛け持ちして私を育ててくれましたが、反抗期だった私は不在がちの母親への反発から、中学に入って間もなくからグレ始めました」
まともに学校に通っていなかった千尋さんは、母親に懇願されて高校に進学したが、そこでさらに非行がヒートアップした。
「入学した高校が底辺校でしたからね。『ごくせん』ってドラマあったじゃないですか? まさにあんな感じだったんです。教室の壁は落書きだらけで窓ガラスは常に割れていて、廊下をバイクが走っていました。校内でも当たり前のように飲酒喫煙をやっていましたし、トイレにはシンナーの匂いが常に漂っていました。ケンカや暴力沙汰は日課みたいなもんです。警察の厄介になることも多くて、少年課の刑事さんとはマブ(※親しい友人関係)みたいになっていました」
クラスメートの紹介でテキ屋のアルバイトを始めるようになった千尋さんは、元締めのヤクザの組長に見初められて交際を開始。20歳の時に結婚、極妻となった。
「ダンナとは20歳以上トシが離れていました。『娘には自分のような苦労はさせたくない』と、私を堅気の男性と一緒にさせたかった母には大反対され、縁を切られました」
ヤクザのダンナは「自分の首を絞める」と猛反発
母親の心配通り、極妻となってからの千尋さんの生活は決して恵まれたものではなかったという。
「ダンナは飲む・打つ・買うの人で、金銭トラブルや女性関係のもめ事は日常茶飯事。毎日のように仲裁に入ったり、土下座して回っていました。敵も多くて、私まで常に身の危険を感じていました。『亭主の世話がおろそかになる』という理由で子供がデキても生ませてもらえなかったし、借金で首が回らなくなった時は質屋通いをしたり、トラックの運転手をしてお金を稼ぎました」
「若気の至り」を後悔しても後の祭り…そんな時に思い出すのが疎遠になっている母親のことだった。
「結婚して10年ぐらいたった時です。興信所を使って母を探したら、すでに亡くなっていたことが分かりました。孤独死だったようです」
弔いのため、母親の生前の生活をたどっていた千尋さんは、母親が養護施設で働いていたことを突き止める。
「母はそこで子供たちの世話係をしていたようです。実の親のように親身に面倒を見ていたと聞かされました。問題を抱えた子たちに私の姿を重ねていたのかも知れない…そんな風に考えたら切なくなりましたね」
「これも何かの縁」と施設の運営を手伝うようになった千尋さんは、やがて自分でも施設を立ち上げたいと考えるようになった。
「母の遺志を継ぎたいと思ったんです。元非行少女で、現極妻である私にしかできないやり方で少年少女を救いたい、と」
ただし、これにはダンナが大反対。
「『そういう少年少女を食い物にしている自分らが更生を手助けするなんて、自分で自分の首を絞めるようなもんじゃねえか』って(苦笑)。でも逆にダンナのこのセリフで私の決意が固まったというところもあります。私がやろうとしていることは、ダンナがこれまで地獄に送って来た少年少女たちに対する贖罪も兼ねられるんだって思ったんですよ」
その後千尋さんは弁護士を立てて離婚。ダンナからの財産分与を元手に『X』をオープンさせたのだった。
「もう7年くらいになります。これまで何百人という少年少女と関わって来ましたが、正直、力及ばずということも何回もありました。自己満足とか偽善とかよく言われますけど、それで良いと思っています」
「やらない善よりやる偽善」とはよく言ったものである。
取材・文/清水芽々
清水芽々(しみず・めめ)
1965年生まれ。埼玉県出身。埼玉大学卒。17歳の時に「女子高生ライター」として執筆活動を始める。現在は「ノンフィクションライター」として、主に男女関係や家族間のトラブル、女性が抱える闇、高齢者問題などと向き合っている。『壮絶ルポ 狙われるシングルマザー』(週刊文春に掲載)など、多くのメディアに寄稿。著書に『有名進学塾もない片田舎で子どもを東大生に育てた母親のシンプルな日常』など。一男三女の母。