師匠、佐々木大輔との出会い
3年生の夏休み、つまり南アルプス縦走へ出発する前、7月10日の海の日から8月いっぱいまでの50日間は、北アルプスの稜線で夏山常駐隊として勤務していた。その頃からガイドとして、生きていこうと思うようになったという。
「3年生の冬山実習で、厳冬期の穂高岳にいきました。講師は国際山岳ガイドの佐々木大輔さんで、生徒は僕ともうひとりだけ。ほぼマンツーマンでみっちり教えてもらって、3泊4日で下山したとき、大輔さんから『これから妙高でスキーツアーをやるんだけど、渋沢おまえも来るか?』って誘われ『いきます』って即答。
お客さんが滑った後、ぼくの番になって『渋沢、全力で滑り降りてこい』って言われて滑ったら『おまえ3年間しかスキーやっていないのに、いいな』って言われて。その晩、お酒を飲んでいるとき大輔さんから『おまえ、デナリに連れて行ってやる』と言われて、憧れていたし、なにがなんでもついていこうと思っていたから『いきます』と(笑)」
専門学校卒業後の2016-17シーズンの一冬、渋沢は佐々木のガイド会社『盤渓』でスキーガイド修行をすることになった。
「大輔さんに『オレのところで勉強しろ』って言ってもらって、1シーズン、サブガイドとしてお世話になりました。テールガイドから、泊まりのときは歩荷、下山口に車を回送したり、いろいろ勉強させてもらいました。大輔さんの自宅の隣に住んでいるご両親の家に居候させてもらって、ご飯はご両親と3人で食卓を囲む生活です(笑)」
佐々木の『盤渓』ツアーがない平日は、佐々木に紹介してもらったサッポロテイネスキー場の『スノードルフィンスキースクール』で子供達にスキーを教えるインストラクターとして、自らの基礎技術を振り返った。
「いままでスキーをちゃんと習ったこともないヤツが、イントラ陣にひとりだけポツンといるみたいな(笑)あきらかに自分がダントツで一番下手でした」
師匠である佐々木大輔からは、スキーの技術、雪山のガイディングなどは、ほとんど教えてもらったことがないという。
「ここはこうしてみろとかアドバイスは、一斎ありませんね。一挙手一投足を近くで見て、体で覚えろ、みたいな昭和な感じです」
2017年の5月、NHKで放送された「世界初 極北の冒険 デナリ大滑走」のサポート隊として、渋沢は抜擢された。撮影&サポートチームにいた国際山岳ガイド加藤直之・黒田誠をはじめとする名だたる山岳ガイドや、日本を代表するアルパインクライマー平出和也や中島健朗と同じ釜の飯を食い、行動を共にして、刺激を受けることになった。
そのときは、メディカルキャンプを設けた4,300mまでの歩荷で終わり、登頂はならなかったが、巨大山塊デナリの魅力に取り憑かれた。その後、19年と23年に2度にわたって自らの山行としてデナリ登頂を果たす。
渋沢が師匠と呼ぶ佐々木大輔は、彼をこう評価して、受け入れを決めたという。
「彼が学生のときから、講師としての付き合いですが、いいガイドになるだろうなあと、ずっと思っていました。どんなことがあっても腐ったり、動じたりしない、気持ちに波がない。いつもポジティブに物事を考えている。なにより性格が良かったです。あと、ガイドとしての素質も申し分ない。体力、スタミナがあって、自ら積極的に山行日数を積んで、上へ上へという向上心を持っています」
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ガイドエリアを故郷・北信に決めた
『盤渓』で一冬を越した年の春、スキーガイドステージⅠの試験が長野県白馬村であった。そのときの検定員が、新潟県妙高を拠点に活動するガイドの中野豊和さんだった。
「学生時代から面識があった中野さんに『次の冬は決まっているの?』って声をかけてもらって、中野さんの『IN Field』に5年ほどお世話になりました。故郷から見える山へいろいろ連れて行ってもらって、BCガイドとしての下地を作ることができました」
2020年、25歳のとき、スキーガイドステージⅡをとってからは、『IN Field』のレベル分けしたツアーを任されるようになった。独立した現在、『IN Field』のサブガイドは、母校の後輩たちに引き継がれている。
なぜそんなに若い歳でスキーガイドステージⅡを取得できたのだろう? 体力や人柄がよかったとしても、時間を蓄積した経験がなければ通らない最難関だ。
「覚えることは多かったですけど、難しいとはまったく思わなかったです。スキーって山を自由に歩けます。それゆえに、天気や雪質、地形、お客さんの反応などいろいろ考えることが多くなる。さまざまな要素を汲み取りながら、自分がベストと思えるツアーを自由に作れるっていうのが、楽しくて、やりがいがありました。天気が悪くて、雪のコンディションが良くないとき、受講者のみなさんは、頭を抱えている感じでしたけど、僕はより楽しくなってくるというか。苦境に立たされたとしても、それを抱え込まずに、よしアッチがダメならコッチだ! って臨機応変に切り替えて、楽観的というか。厳しい状況に置かれると、より燃えるといいますか」
「自分は楽観的だ」と笑っていうが、生死に関わる山での楽観は、確固たる自信のなかでしか生まれない。
渋沢は活動の拠点を生まれ育った長野市の隣町、信濃町に決め、一軒家を借りて住んでいる。ちなみに将来を約束した彼女とは、遠距離恋愛中で、まだ独り暮らし。
「信濃町は山に近いけど、妙高みたいに雪が降りすぎなくて、住みやすい町です。そして、山がよく見えます。妙高山、黒姫、斑尾、高妻、戸隠に囲まれて、山の案内もしやすいです。めっちゃ降る妙高新井と、内陸の乾いた戸隠、長野のちょうど中間なんで、その日の気象に合わせてガイドエリアをパっパっと替えることができます。例えば、西高東低が決まって日本海側が降り過ぎたら内陸へって感じで、いいコンディションを求めて当日の朝に動けるんです」
BCガイドには、2つのタイプがいる。ひとつは、スキーやスノーボードが好き、あるいは得意で雪山の世界へ入ってきた人。もうひとつは、四季を通して山が好きで機動力のあるスキーやスノーボードを手にした人。いうまでもなく渋沢は、ザ・後者である。藪漕ぎ上等のオリエンテーリングから無補給の長期縦走や渓流のちょうちん釣りまで、泥臭い山行から山スキーへと流れてきたヤマヤである。だから、そんじゃそこらの逆境ではへこたれず、厳しければ厳しいほど頼りになる先導者となる。
【Profile】
渋沢 暉(しぶさわ ひかり)
1994年、長野県長野市生まれ。長野と新潟の県境、信越エリアを拠点に四季を通して山を案内する『LEAD Mountain Guide』代表。スキーガイドステージⅡを若干25歳で最年少取得したガイド界のホープ。BCで得意とする山域は、妙高火打、戸隠などの信越エリア。2019年、北米大陸最高峰デナリ山頂からスキー滑走を成し遂げ、2023年には海抜0mから歩いて49日目に登頂しデナリ・シー・トゥー・サミットを達成。
日本山岳ガイド協会認定
登山ガイドステージⅡ
スキーガイドステージⅡ
LEAD Mountain Guide
公式サイト:https://www.leadmountainguide.com/
公式SNS:Instagram