パリ2024パラリンピックのバドミントンで男子シングルス2連覇を達成。男子ダブルスでも銅メダルを獲得した梶原大暉(WH2)。今や世界のパラバドミントン界をリードする存在となった梶原が、心新たに目指す次なる高みとは。
プレッシャーで眠れない日もあった「2度目の大舞台」
――東京大会以来負けなしで迎えたパリのシングルスでは、1ゲームも落とすことなく、再び頂点に立ちました。
梶原大暉(以下、梶原): 東京のときとは異なり、いろいろなサポートを受けられるようになるなど、かなり注目していただけた中でパリを迎えました。たくさんの方に期待していただいている分、金メダルを獲らなくては、というプレッシャーがなかったといえば、うそになります。実際、眠れない夜もありました。でも、プレッシャーに押しつぶされないよう厳しい練習を積んできたという自負がありましたので、いざ、パリで試合となったときは、期待やプレッシャーを力に変えられましたし、練習してきたことを全部出し切れたと思います。
金メダルが決まった瞬間は、人生で一番嬉しい瞬間だったと間違いなく言えます。同時に、獲れてよかった、とほっとした気持ちも強かったです。
パラバドミントン界の絶対王者・梶原大暉――村山浩と組んだダブルス(WH1-WH2)は、東京に続き銅メダルでした。
梶原: 東京の予選と準決勝で中国ペアに負けて以来、「パリでは中国に勝って金メダル」を目標に掲げてやってきました。ところが、今回もまったく同じ結果で……。さすがに、負けたときは頭が空っぽになりました。調子はけっして悪くなかったのに、勝てなかった。そこに大きな力の差を感じましたし、今でもすごく悔しかった気持ちしか残っていません。
――敗因はなんだったと思いますか。
梶原: ダブルス力とでもいいますか、ダブルスの戦い方を中国の方がよく知っていたことにあるのかなと考えています。ダブルスでは、障がいの重い方が狙われます。自分の方が障がいが軽い(編集注:ダブルスは、障がい別クラスのWH1の選手とWH2の選手がペアを組む。WH1クラスの選手よりも、WH2の選手のほうが障がい程度が軽い)ので、自分の役目としては、まずは狙われ続ける相方をいかにカバーリングするか。また自分がシャトルに触れたら、その後どう組み立てるか、そのためにどのショットを選択するか、を瞬時に判断してプレーすることが大切なのですが、まさにそこに課題があったと思っています。ダブルスに必要な考え方をもっと鍛えなければいけませんし、ショットの種類も増やしていかなければいけません。
パリパラリンピックでは、嬉しさと悔しさの両方を味わった――パリ大会の記者会見では、「頭を使ってバドミントンをする」とおっしゃっていますね。どういうことでしょうか。
梶原: もっと豊富な「アイデア」を持つこと、そしてもっと「読み」を研ぎ澄ますということでしょうか。対戦相手やペアの相方はもちろん、自分自身をも客観的に見て、今それぞれがどういう状況なのか。相手が何を待っていて何をしたいのか。その裏をかくために試合をどう組み立て、どのショットを選択すればベストなのか……。こうしたことをもっと的確に判断してプレーできると強くなると思いますし、ダブルスでも勝てる見込みが出てくると思います。
取材は2024年12月、パラバドミントン専用体育館、ヒューリック西葛西体育館で行った――パリではチェアワークが際立っていた印象でした。
梶原: チェアワークは自分の強みの1つです。車いすが止まっている状態をゼロとすると、そこから車いすを動かすには力が必要ですし、時間もかかります。そのため、常に車いすを小さく動かし続けるのがチェアワークの基本です。
自分は障がいが軽いクラスではありますが、体幹があまり効かないので、できるだけ無駄な筋力や体力を使わずに次のプレーに移れる動かし方を模索し、これだったら、という動き方を見つけたのが、東京大会の少し前のことです。自分に合うチェアワークを追求した結果、ほかの選手とは少し違うものになっているのかもしれません。
――ラケットワークにも強みがあったように思いますが、伸びしろはあるとお考えですか。
梶原: 全体的にまだまだです。考える力を伸ばさなければいけませんし、パワーで劣る部分もありますし、ショットだって種類や精度など足りない部分がたくさんあります。今は、ネットプレーや、フェイントのように相手が迷ったり足を止めたりするラケットの動かし方やショットを練習しています。
さらにいえば、オリンピックの選手ともやり合えるぐらいになりたいと思っています。オリンピック選手のプレー動画もよく見ていて、とくに渡辺勇大選手が好きです。車いすと立っている人との違いはありますが、繊細なラケットワークなど取り入れられるところはあると思っています。
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“パラバドミントンの顔”から“パラスポーツ界の顔”へ
――憧れの選手に、車いすテニスの国枝慎吾さんも挙げていますね。
梶原: 現役時代の気迫あふれるプレーが大好きでした。それに、なんといってもパラスポーツ界の第一人者ですから。一緒に車いすバスケットボールをさせていただいたことがあるのですが、やさしく声をかけてくださって。そのお人柄も尊敬しています。自分もいつか国枝さんのようになれればと思ったりもしますが、まだまだです。
オフの楽しみは?「ご飯に行くことです。焼肉が好きですね」――パラスポーツ界全体について考えるようになったきっかけはあるのですか。
梶原: きっかけは、東京大会のとき、注目度や知名度でオリンピックとの差を実感したことです。今回のパリでも、オリンピックに比べて、パラリンピックはほとんどテレビ中継がありませんでした。車いすテニスの小田凱人選手も指摘していたと思いますが、自分も同感です。いつか自分が国枝さんのような存在になり、パラスポーツ全体を発展させていくお手伝いができればと思います。
そのためにも、まずは競技面での実績が重要だと思うので、ハードな練習に取り組み続けなければいけません。
――ハードな練習がいやになることはないですか。
梶原: バドミントンを始めたのは、これまで支えてくれた人たちに元気な姿を見せたいとの思いからなんです。しかも、やるからにはトップを目指したい。そのためには、ハードな練習は必須ですし、初心を忘れなければきつくても乗り越えられます。いわば「初志貫徹」です。中学時代にこの言葉を初めて聞いたのですが、当時は意味がよくわかりませんでした。でも、今ならよくわかります。
野球に没頭していた中学時代は「練習もきつかったけど、(食が細く)食べることが本当にきつかった」――最後に、2025年の目標を教えてください。
梶原: 今年の目標は「進化」です。
どんな競技でもがむしゃらにプレーする選手が好きです。楽しみつつがむしゃらに、そして最後まで諦めないプレーでたくさんの人を魅了する選手になりたい。そのためにも、課題にしっかり取り組んで、シングルスの連勝記録を伸ばし続けながら、2028年にロサンゼルスで開催されるパラリンピックでシングルス3連覇、ダブルスでの金メダルを目指します。
手の感覚を大事にする梶原は、試合中も手袋をしない。「車いすを操作する手も進化しています!」
text by TEAM A
photo by Haruo Wanibe