【対談連載】華道家元池坊 次期家元/紫雲山頂法寺(六角堂)副住職/一般財団法人 池坊華道会 副理事長 池坊専好(上)

【京都・中京区発】錦秋の京都。これから訪ねるのは、華道家元池坊。多くの流派がある華道だが、池坊は華道の理念を確立した「いけばなの根源」であることから、「華道家元」と称される。ご登場いただく池坊専好さんは、46世となる次期お家元だ。豊臣秀吉を迎える花を立てた初代「専好」から二代を経て、2015年に四代目専好の法名を襲名された。560年余の池坊の歴史上、初めての女性のお家元でもある。花は好きだが、いけばなとなると少し緊張する。気持ちを奮い立たせて訪問先に向かうことにしよう。
(本紙主幹・奥田芳恵)

2024.11.19/京都・池坊家元道場にて

●池坊で知り合ったすべての方々が人生のロールモデル



奥田 専好さんは560年余の歴史をもつ華道家元池坊で、46世を継がれる次期お家元でいらっしゃいます。ご幼少の頃から、いずれは家元になると意識されていたのですか。

専好 何となく意識しつつ成長していたという感じでしょうか。周りから「由紀ちゃん(専好さんの本名)が後を継ぐんでしょ」とか言われたりしてましたから。

奥田 正式にいけばなを習い始めたのはいつ頃ですか。

専好 きちんと習い始めたのは中学生になってからです。父(45世家元・池坊専永氏)は、本人がそう望むまで待とうという思いがあったようで。ただ、それまでも余った花材で遊んだりはしておりましたね。

奥田 池坊の歴史上、初めての女性のお家元でもあるのですが、不安を感じることはありませんでしたか。

専好 家元継承者に指名されたのは1989年。若かったことや経験不足などから来る自信のなさなど、さまざまな不安はありましたね。

奥田 女性は今でもガラスの天井云々と言われますが、当時はさらに厳しい状況だったかと…。

専好 そうですね。当時メディアの取り上げ方があまりに大きく、報道が先走りして自分だけが取り残されているようにも感じました。

奥田 それは辛そうです。

専好 その一方、女性であることや次期家元という面から、さまざまなお仕事をさせてもらえました。人はどうしても自分が居るところだけで考えが終始しがちですが、多くのチャンスをいただき、いけばなとは異なる場に身を置くことで、社会の広さや深さ、多様な見方や生き方があると実感できたように思います。

奥田 大きな影響を受けた人はいらっしゃいますか。

専好 ロールモデルとして浮かぶのは、池坊という世界で知り合ったすべての方々ですね。皆さん、出産や介護、病気などさまざまな経験をされながらもいけばなを続けていらっしゃる。生き方も考え方も異なりますが、その違いをたくさん見せていただくからこそ、人が生きるというのはこういうことなんだと。

奥田 いろいろな歳の重ね方を教えていただいているということでしょうか。

専好 その通りです。すべての方々が人生の先輩だと思います。

奥田 ところで、いけばなには「センス」が必要なのでしょうか。センスについてどう考えていらっしゃいますか。

専好 それはよく耳にすることですが、センスは必要ないと私は思います。むしろセンスがあることは危険でもある。センスに溺れてしまったりね。逆に「自分にはセンスがないから」とこつこつ努力をしたことが、後の宝物になることもあります。長い目で見ると何がプラスで何がマイナスかは一概に言えないものです。

奥田 それを聞いてちょっと安心しました。

専好 ただ、センスを磨くことはとても重要です。私もいろいろな舞台や音楽を鑑賞したり、自然の中を散策したりなど、いけばな以外の美に触れる機会を多くもつようにしています。

奥田 常に磨き続けていらっしゃるんですね。

専好 ですからセンスの有無を口実にしないで、意識してセンスを磨くと共に、地道に努力を積み重ねる。それで補われることも多々あります。簡単に身についたものは簡単に離れていくものですが、苦労して身につけたものは離れませんから。

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●文化芸術の良さは、いい意味での遊びや緩やかな関わりが許されること



奥田 基本的な質問になりますが、いけばなを上達させるには何が必要ですか?

専好 技術的な上達だけを考えるならば、とにかくお稽古を繰り返して積み上げていくこと。パターンや美の基準を自分の中に植え付けるのは大切です。いわゆる「守破離」の“守”の部分ですね。ただ、それだけを目標にするのは少し違うんじゃないかなとも思います。

奥田 と言いますと?

専好 技術力の向上はもちろん大切ですが、何よりも花を見て素直に「きれい」と思う感動をもち続けることが重要です。そして技術的な上達と共に、最終的にはいけばなに先人たちの歩みを感じていただきたい。そこに今の自分を投影し、次の人にどう伝えていくかも考えていただければと思います。

奥田 いけばなには「型」がありますが、型とはなんでしょうか。

専好 型というのは先人の自然観や環境などが内包されたもの。伝統的な美意識です。型を通して先人を知ることは大切ですが、型をそのまま再現するのは難しい。いわゆる「型通りにはいかない」ということですね。

奥田 型があるのに型通りにいかないのはなぜでしょう?

専好 いけばなは生きている素材が対象です。花材である草木の一つ一つが命と個性を持っていて、いつも同じではありません。まさに一期一会。ですから型だけにこだわるのではなく、どんな花材が来ても、現状に合わせてどれだけ臨機応変に対処できるかが大事です。

奥田 確かに同じ花でも付き方も違えば、枝振りも異なりますね。臨機応変に対処するために必要なことは?

専好 自らの美の経験値を積み重ねること守破離の“守”を基本にしつつ、“破”や“離”に対応できる基準を自分自身の中につくっていくことが重要だと思いますね。

奥田 作品を観る時にも必要なことでしょうか。

専好 そうですね。観る方それぞれの基準による解釈があっていいと思います。私の作品に対してもいろいろなコメントがあって、私の意図とは異なることもあります。でも、多くの方が作品を観てくださることでより豊かな解釈につながると考えています。

奥田 ご自分の意図通りでなくてもよいと。

専好 意図通りに見ていただけるとうれしいけれど、そもそも文化芸術は、多様な人が紡ぎ出すギャップが面白いというか。それを受け入れることが、次なる創造へのステップになるのではないでしょうか。

奥田 そういう考え方はいけばなに取り組まれる中で培われたものですか。

専好 私自身、テーマや設定が決まらないうちに、感性が先走りして手が動いて作品ができてしまうこともあります。解釈を決めつけてしまうと、窮屈な感じもいたしますね。

奥田 決めつけてしまわないのですね。

専好 はい。花をいけるという営みは、自分の頭や心を整理することでもあるし、自分が知らなかった考えに気付くことでもあります。外部からいただくいろいろな意見は、新たな気づきや刺激にもなりますよね。

奥田 実に柔軟です…。

専好 いい意味での遊びの部分や、緩やかな関わりを大切にしていきたいと思いますし、それが許されるのが文化芸術の良さでもあると思います。(つづく)