ドラマ「金八先生」“腐ったミカン”で名を馳せた直江喜一が吉本入り! 「名脇役とまでいかない、“名チョイ役”になれればいいな」

テレビドラマ『3年B組金八先生』第2シリーズ(1980〜81年・TBS)の“加藤優”役で一躍その名を馳せた俳優の直江喜一が、この1月から吉本興業所属になりました! 直江は20代のころに役者をやめて建設会社に入社し、その後、10年ほど前から会社員として働きながら芸能活動を再開。その直江は今後、吉本に所属してどんな活動をしていくのでしょうか? 本人を直撃し、これまでの歩みを振り返りながら今後の展望を聞きました。


出典: FANY マガジン

吉本新喜劇・はじめとの縁でトントン拍子

――俳優の直江喜一さんが吉本に入ると一報を聞いたときは驚きました。

入れるとは自分でも思っていなかったですね。“入れちゃった!”という感じで、嬉しかったですけど、僕自身もびっくりしています(笑)。

――現在は俳優と会社員、二足のわらじだそうですね。“会社で働きながら”というのはなかなか珍しいケースだと思います。

そうですね。30歳になる手前で僕は一度、この(芸能の)仕事をやめているんですよ。20代のころ、俳優の仕事だけではなかなか食えないというので、ペンキ屋の職人をやりながらたまに話が来ればドラマに出て。でも、30歳目前になって、“このままでいいのかな?”って思うようになったんですよね。

まわりからは、若いころは「30ぐらいになったらいい俳優になるよ」と言われ、30近くなったら「お前はやっぱり40からだよ」と言われ……。競馬の「次のレースこそ」みたいな感じになっていたんです(笑)。

そんなとき、現場監督として建設会社から来ていた所長さんが、自分より年下なのに責任ある仕事をしっかりしているのを見てショックを受けて、芝居がどうたらとか情熱を語ってる場合じゃないなと思い直しました。子どももいたし、安定した仕事に就かないとな、と。それで俳優のほうはやめようと思ったんです。


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――就職するあてはあったんですか?

その所長さんが、君のやる気さえあれば、うちの会社が建築全般に携わる仕事で採ってくれるかもしれないよと言ってくれたんです。

でも、どうせ人生やり直すんだったら、何も知らないところに行ってやれと思って、一念発起して猛勉強しましたね。もう30代は仕事と勉強が忙しすぎて記憶がないぐらい。学校にも通って、2級建築士と2級建築施工管理技士の資格を32、33歳で取りました。

――それはすごいです!

それで建設会社に入って、ずっと現場監督をやって、忙しい毎日を過ごしていました。その後、45歳で営業になったんですけど、時間が少し取れるようになると、なぜか「あの人は今」みたいな(番組の)話がいっぱい来はじめて……。

20代のとき仕事がなくてなくて、涙ポツッと流して“もうやめる”って言ったのに、不思議なもので、何十年かあとにそうしてポコポコ仕事が来るようになって……。いっぱい出過ぎて、全然“あの人は今”じゃなくなってるっていうぐらい出ていましたから(笑)。

――その当時、テレビ出演する際のマネージメントは誰がやっていたんですか?

最初のうち、そういう話っていうのはうちの会社の広報に来ていたんですよ。で、僕自身は知らないのに、上の人から「支店長に了解得たから出ていいぞ」なんていきなり言われるわけです(笑)。

そんなことが続いて、これは大変だということで、(女優の)川上麻衣子(『金八先生』で共演)の個人事務所に窓口になってもらって。それがきっかけで、そこに13年ぐらいいたんですけど、マネージャーさんがやめたのをきっかけに僕もやめて別の事務所に入りました。でも本当に仕事がなかったので、どこか別のところに移れないかなと。それで浮かんだのが吉本さんだったんです。


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――吉本興業の誰かと知り合いだったんですか?

(吉本新喜劇の)はじめさんと交流があったんです。はじめさんが座長を務めたときの吉本新喜劇に私も2回ほど出ているんですよ。はじめさんは私のファンでもあって、たまにLINEで連絡したりしているんですね。

それで、昨今の仕事の事情を話して、ちょっと吉本さんに話を聞かせてもらいたいんだけど、誰か紹介してもらえないかと聞いたら、はじめさんの前のマネージャーさんを紹介してくれて。すぐにマネージャーさんに会ってお話しして「入れれば、いちばんありがたんですけどね」って言ったら、「いいんじゃないですか」「ギャラはこんな感じです」って言ってくれたんです。

――そんなにすぐに(笑)。

早かったですね(笑)。で、そこからすぐに部長さんともお会いして、“こういう条件ならば”っていうメールが来て、もう“こちらからは全部OKです”とお返事しました。

――トントン拍子だったんですね。

スッといっちゃいましたね。だいたい、いい話のときってトントン進むんですよ。会社でもそうでしたけど、縁があるときはパタパタってすぐ話がまとまる。今回もそんな感じでした。


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70歳で「吉本に入ってよかった」となれば

――もともとは子役の劇団に所属して、高校生のときに『金八先生』の“腐ったミカン”こと加藤優役で脚光を浴び、一躍有名になりました。

高3のときにオーディションに受かって、すごくいい役をもらいましたね。脚本家の小山内美江子先生からは「この役は、ジャガイモみたいなあんたがやるからいいのよ、かっこいいやつにはやらせないわよ」と言われて、“何だそりゃ?”と思いましたけど(笑)。

――(笑)。でも、ドラマに出ると周囲の目は変わったんじゃないですか?

人生変わっちゃいましたね。それまで高校では地味な存在で、柔道部で主将をやっていたんですけど、部員が8人ぐらいしかいなくてギリギリ団体戦に出られるような状態でした。それが、『金八』に出たらマネージャーがバンバン入ってきちゃって、部員よりマネージャーが多いぐらい(笑)。

やっぱりテレビに出るっていうのは大きかったですね。でも、『金八』から先はなかなかうまくいかなかったです。やっぱり事務所が大きくないからだろうなっていうのはすごく感じました。ゼネコン業界もそうですけど、大手が頑張ると中堅は叶わないですから。

事務所が小さいということで悔しい思いをしたこともありますけど、そう考えると“この歳にしてやっと大きなところに入れたんだな”と感慨深いものがありますね。44年かかりました。どうもありがとうございます(笑)。

――(笑)。吉本に入って新たにやってみたいことはありますか?

いろんなことをやりたいですね。今年62歳になるんですけど、44年経っても『金八』のことを言っていただいて。若いころはそれが嫌だったんですけど、この歳になっても言われるって逆にすごいことだと思うようになりました。

だから、もうそんな何をしたいなんていう欲もないんですよ。会社も定年してますし、ローンも全部払い終わって借金もなく、“女房と2人食べていければいい”っていうぐらいで。好きなことだからこそ携わっていたいっていう気持ちがいちばんなので、ちょっとでも、これ面白いなと思ったものはやらせていただければいいですね。名脇役とまでいかない、“名チョイ役”になれればいいなって思ってます(笑)。


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――いまは会社でどういう仕事をしているんですか?

定年にはなったんですけど、まだ嘱託として営業部長はやっています。ふつうに月〜金で働いていますよ。だから、そういうところも売りにしていけたらいいかもしれないですね。現役ゼネコン営業部長として、情報番組でコメンテーターやったり。

――もし建設に関係するような社会問題が起きたら絶対、重宝されますね。

そうそう、“これはダメだろう”とかそういうのも言えますからね、資格持ってるから(笑)。だから、コメンテーターもできるし、バラエティも経験ありますし、インディーズでバンドもやっていますし。プライベートでも、フルマラソンやったり、地域の消防団に入ったり……。

――本当にアクティブですね。

今後の人生考えると、健康寿命が72、3歳として、あと10年ぐらいはまだいろんなことをやれるかなって。“力み”っていうものがもうなくて、何でも素直に楽しめる歳なので、どんなことでも面白く楽しくやれたらいいなと思っています。

――理想の働き方にも見えます。

うん、それはよく言われますね。理想の形になってきたから、ありがたいなって自分でも思います。まぁ努力はしてきましたし、やっぱり自分の中できっかけというものを大事にしてきたおかげかなとは思います。

――常にご自身で動いて模索してきたからこそ、ですね。その行動力に吉本の力が加われば鬼に金棒かもしれないです。

そうなってくれればいいですね。70歳になったときに、“ああ、吉本に入ってよかった”ってなっていればいいなと思います(笑)。