2024年の流行語大賞「ふてほど」を生み出したドラマ『不適切にもほどがある』。昭和と令和、どちらがいいという話ではないが、文化的の一体感のあった昭和を楽しそうだと憧れるZ世代は多いそうだ。
書籍『「それってあなたの感想ですよね」論破の功罪』を一部抜粋・再構成し、令和を生きるZ世代がなぜ昭和に憧れるのか、彼らの育ってきた環境を交えて解説する。
Z世代が昭和に憧れる理由
多様性の時代だとよく言いますが、それは生徒と接していると大いに実感できます。
象徴的なのが、流行の喪失です。みんなで夢中になれるものが、本当に少ないのです。数少ない例外と言えば、2023年のWBC決勝でしょうか。
クラスのほぼ全員が、授業中にタブレットで視聴していたという事例が幾つか確認できるほど、中高生の間でも話題騒然でした。
テレビ番組全体の視聴率が低下傾向にある今、平日の午前中にもかかわらず叩き出した42.4%(関東地区)という驚異的な数値の通り、老若男女が夢中になった国民的イベントだったと言えます。
その他、中高生に人気のあるコンテンツと言えば、アニメ・ゲーム・アイドル・声優・歌い手等々、幾つか思い浮かびます。が、ゲームやアイドルというカテゴリーにしても、さらに細分化された界隈が形成されており、胸を張って流行だといえるものを探すのが難しい状況です。
この件に関し、『不適切にもほどがある!』で昭和の女子高生を演じた、河合優実氏の出演者インタビューが示唆的です。
また、私は同じ流行を追って、同じものを好きになってという現象がちょっと羨ましいと思っています。みんなが同じ歌を口ずさめる、同じアイドルの髪型を真似するなど、昭和の文化には一体感を感じます。今は好きなものもバラバラ。もしかしたら、多様性という今の時代を象徴する考え方とは逆行しているのかもしれませんが、同じことで盛り上がれる雰囲気はすごく楽しそうだなと思いますね。
(『〝明菜ちゃん〟風ヘアにスケバン衣装で熱演中!平成生まれの河合優実が感じた昭和の良さ』https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=19939)
一体感に羨ましさを感じるほど、みんなで流行を追いかける経験が乏しいわけです。このことは、各々が好きな界隈に所属するという状況が、さも当然になっていることを意味しています。
しかも、そんな界隈には、内外を峻別する規範があります。界隈ごとに自明なことがあるからこそ、全ての界隈に妥当する普遍的な事実を探すのが難しくなってしまうのです。
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普遍性が存在しない社会
こうした状況もあり、今の中高生たちは、他者が持つ趣味に対し大変に寛容です。昔の中高生であれば、みんなの前では言えなかったオタッキーな趣味も平然と公表してしまいます。
明るい女子中高生が、ゲーム・声優・アニメ・アイドルに夢中になっていたとして、何ら違和感はなくなりました。
または、オタク的な趣味を持ったり推し活をしたりする同世代は、もはや全くマイノリティではなく、スタンダードの感さえあるので蔑視しようがないとも言えます。私が中高生だった二十数年前では、とてもではありませんが考えられなかった事態です。
物心がついたころにはSNSがあり、そこにアクセスすれば数多の界隈が目に飛び込んできて、しかもそのどこかに自分も所属するようになる。
いきおい、それぞれの界隈に独自の規範(前提)があって、その界隈だけで通用する論理や事実があるという構図を皮膚感覚で理解してしまう。こうした世界観には、普遍性という言葉は見当たりません。
一方、それは大昔でも同じではないかという疑問があるかもしれません。その共同体だけに適用される規範があり、自ずと共同体のなかだけで通用する真実があるという話は、たしかに以前から今まで、いつの時代でも妥当していたと思います。
しかし、こうした捉え方は、現代を生きる私たちが事後的に見た結果に過ぎません。
共同体のなかで日々が完結していた時代であれば、その共同体が全体(社会)そのものです。しかも、他の共同体の様子をうかがい知り、そして身近に感じることは容易ではありません。
共同体にいる人々からすれば、その規範が全てであって、あたかも普遍的なルールに感じられるわけです。