メルボルンの空へと両手を突き上げ、勝利の喜びを全身で表した日比野菜緒(世界143位)は、対戦相手との握手の後、一目散に自身の陣営へと飛び込んでいった。
次々にハグを交わすその中には、籍を入れたばかりの伴侶もいる。昨年末に結婚した日比野は、今季は基本、夫の啓孝氏とトレーナーとの3人で、テニスツアーを転戦する予定だ。その新体制で挑む最初の四大大会で、白星を3つ連ねて予選突破。その事実を「これまで取り組んできたことが、少しずつでも形になっているということなので、すごくうれしい」と素直に喜んだ。
「全豪オープン」(オーストラリア・メルボルン/四大大会)予選での3試合、日比野はいずれもリードされた逆境などで、精神とプレーの安定感を示してきた。
予選決勝のハリー・ダート(イギリス/104位)戦では、第2セット終盤に2度のブレークダウンから追いつき、最後はひっくり返してみせる。苛立つ相手とは対照的に、情熱的かつ冷静に、スライスやドロップショットも操りながら、ジリジリと打ち合いを支配した。
6-4、7-5で勝利し本戦出場を決めた直後、既に気持ちは本戦に向かっているかのような平静さで、日比野が淡々と次のように語る。
「ロングラリーを楽しんでるって言ったらおかしいですけど、苦にしていないのは私の方。ファイナルセットに行っても大丈夫という自信が、リードされてもリラックスしてプレーできた要因だったのかなと思います」
今の彼女が、かように「ロングラリーを楽しめる」心境にいられるのは、2つの理由があるようだ。
1つは、トレーニングに裏付けられた、フィジカル面への自信。日比野は2年前からトレーナーの北村珠美氏に師事し、ツアーにも帯同してもらっている。
北村氏によれば、以前の日比野は「長いラリーの後に、動きが落ちることがあった」。そこで重点的に行なってきたのが、「無酸素運動」。30~40秒ダッシュや、高負荷の400メートル走をくり返すことで、長い打ち合いを続けられるフィジカルを築いてきた。
結果、日比野の心とプレーに、余裕が生まれる。
「せっかく北村さんとずっとトレーニングを積んでるので、それを生かさない手はない」
その成果こそが、今回の予選3連勝だ。
もう1つ、今の日比野の安定感を裏付ける要因は、やはり“結婚”という形で公私に通した一本の軸だろう。
女子テニスの世界では、今や出産経験者のトップ選手は珍しくない。他方で日本では、ツアーを転戦する既婚者すら少ないのが現状だ。実は日比野自身も長く、「引退してから結婚」という既成概念にとらわれていたという。
それが「早く引退したい」の思いにつながり、フラストレーションの原因になっていたとも…。
「やはり日本に前例がないということもあり、私も『引退しないと結婚できない。ならば引退したい』という気持ちがすごく強くなっちゃったんです。でも彼は少し特殊な経歴なので、『全然、こういうやり方もあるんじゃない?』と言ってくれたので、結婚に踏み切れました」
日比野の言う「彼」とはもちろん、伴侶の啓孝氏。幼少期から欧米諸国で暮らしてきた彼は、旧態依然的な夫婦感とは無縁だ。
その啓孝氏が提案した「こういうやり方」とは、彼が日比野のツアーに帯同すること。長く日比野の試合を見てきた啓孝氏には、公私ともに、彼にしかできないサポートがある。
今回の予選の試合中にも、日比野がコートサイドに歩み寄り、“コーチ”としてベンチ入りする伴侶に助言を求める場面があった。その時に得られる言葉は、日比野に心の平静を与えてくれるという。
「彼は、メンタル面より戦術面でのアドバイスが多い。私は感情的になることも多いんですが、それを『戦術でこうした方がいいよ』みたいに冷静な意見をくれる。感情に感情で返されるとますます熱くなるので、冷静でいてくれるのはすごく助かっています」
劣勢にあっても、常に次の一手を考え続けることで、精神的に崩れることもなかった。
昨年末に30歳を迎えた日比野は、この全豪が通算24度目の四大大会本戦になる。
「自分は、本戦の舞台に値する選手」との矜持を胸に宿す彼女は、来たる本戦に向け、次のような抱負を口にした。
「今日みたいなロングラリーをしていきたい。上位の選手と当たったとしても、しぶとく自分のラリー力を出していければ、チャンスあると思っている」
その初戦で対戦するのは、第17シードのマルタ・コスチュク(ウクライナ/18位)。新生日比野の現在地を占う上でも、格好の試金石になる。
現地取材・文●内田暁
【動画】日比野が「全豪オープン」本戦入りを決めたダート戦のマッチポイント
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