宮崎駿監督によるアニメ映画『ハウルの動く城』は原作を大幅に改変しています。なかでも大きな改変は「戦争」でした。どうしてファンタジーにリアルな戦争の描写が導入されたのでしょう?
画像は『ハウルの動く城』静止画 (C)2004 Diana Wynne Jones/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDDMT
【画像】見た目はヤバイけど… こちらは木村拓哉さんが実際に寝たハウルのベッドです(4枚)
原作者公認済みの大改変
宮崎駿監督のアニメ映画『ハウルの動く城』(以下、『ハウル』)は、イギリスの作家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジー小説『魔法使いハウルと火の悪魔』(原題:Howl’s Moving Castle)を原作にしています。
宮崎監督は、原作者の許諾のもと、原作小説を大幅に改変して『ハウル』を作り上げました。そのなかでも、もっとも大きな変更点が、戦争に関する描写の大幅な導入です。原作小説にも戦争は出てきますが、ほんのわずかでした。一方、『ハウル』ではほぼ全編にわたって戦争に関する描写が続きます。
『ハウル』に登場する戦争は、宮崎監督の言葉を借りれば「近代的な国家間の総力戦」です。「ソフィー」が住んでいる街には兵士があふれ、空には軍用のフライングカヤックが飛んでいました。「ハウル」は魔法使いですが、戦争への協力を求められています。中盤以降は、ハウルが飛行軍艦と戦う場面もありました。
では、なぜ宮崎監督は、原作にない戦争の描写を『ハウル』に取り入れたのでしょうか。それは本作が製作されていた時期に大きく関わっています。
宮崎監督が実質的に指揮をとって『ハウル』の製作が始まったのは、2002年の秋からだとされています。この頃、世界は2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロの影響で大きく揺れていました。すぐさまアメリカと同盟国は対テロ戦争としてアフガニスタンに侵攻し、03年にはやはりアメリカが主体となってイラク戦争が始まります。
原作小説は純然たるファンタジーです。たくさんの登場人物が出てきて、魔法が飛び交い、争いが起きて、やがて大団円を迎えます。宮崎監督は、この原作をそのまま映画化しても、今日的な物語にはならないと考えていました。ファンタジーであっても、作品が公開される04年の世界、04年を生きる人びととの接点が必要だと考えたのです。宮崎監督は「ハウルの動く城 準備のためのメモ」に、このように記しています。
「ハウルは自由に素直に、他人にかかわらず自分の好きなように生きたい人間です。しかし、国家はそれを許しません。『どちらにつく?』とハウルもソフィーも迫られるのです。その間にも、戦争は姿をあらわします。動く城のドアのひとつがある港町にも、ソフィーの生家のある町にも、王宮にも、荒地そのものにも、火が降り、爆発がおこり、総力戦のおそろしさが現実のものとなっていきます。いったい、ソフィーとハウルはどうするでしょう。この点をキチンと描いた時、『ハウルの動く城』は、二十一世紀に耐える映画になるでしょう」
その一方で、宮崎監督はイラク戦争を見て、生々しい戦争描写を避けることに決めたといいます。たしかに直接的な戦闘は遠くのほうで描かれるだけで、兵士が戦死していく描写などもありません。戦争を起こした主体である国王やサリマンが糾弾されるような場面も描かれませんでした。
しかし、戦争がむごいものであり、やっかいなものであることは間違いありません。最後にサリマンが「このバカげた戦争を終わらせましょう」と言いますが、ラストシーンで爆撃艦がいくつも飛んでいるように、戦争は簡単には終わらないのです(画面の下手=左側から上手=右側に移動しているのが、これから「行く」ことを表現しています)。
宮崎監督には、ただのファンタジーは作りたくないという気持ちがありました。だからファンタジーのなかに近代国家の総力戦の描写を導入したのです。その上で描かれたソフィーとハウルの「戦火のメロドラマ」を味わってみてください。