「日本で唯一ディープインパクトに先着した馬」
同じサンデーサイレンス産駒で、無敗の三冠馬ディープインパクトより1歳年上の俊才、ハーツクライに対して付けられたキャッチフレーズである。
ディープインパクトを2着に降して勝利をもぎとった2005年の有馬記念(GⅠ)はあまりにも有名で、その衝撃の大きさから前記の惹句が用いられるわけだが、ハーツクライの3年に満たない競走生活を通してみると、ただの一発屋でなかったことは即座に分かる。というよりも、コツコツと力を付けて円熟期を迎えたにもかかわらず、病によって真の頂点に立つことなくターフを去った悲運の名馬と言うほうがより相応しいのではないか。筆者はそう思っている。
父サンデーサイレンスが歴史的な成功を収めた大種牡馬であるのはもちろん、母アイリッシュダンスは新潟大賞典、新潟記念とGⅢを2勝した名牝。そして母の父トニービンも日本ダービー馬2頭(ウイニングチケット、ジャングルポケット)をはじめ、天皇賞馬エアグルーヴ、牝馬二冠のベガなど、9頭ものGⅠホースを出した名種牡馬であり、ハーツクライは得難い良血馬として2001年の4月15日に社台ファームで生を受けた。その名前は、アイルランドの音楽やダンスで構成された舞踊劇『リバーダンス』のなかの1曲、『ザ・ハーツ・クライ』(心の叫び)から取られたもので、母アイリッシュダンスからの連想によるものだった。
1996年の菊花賞(GⅠ)を制したダンスインザダークなどで知られるトップステーブル、橋口弘次郎厩舎に預託されたハーツクライは3歳1月の新馬戦を快勝。続くきさらぎ賞(GⅢ)は3着に敗れるが、次走の若葉ステークス(OP)を勝って皐月賞(GⅠ)への出走権を得た。ここで5番人気に推されたもののGⅠの壁は高く、14着に大敗。仕切り直しとなった京都新聞杯(GⅡ)で初の重賞勝利を挙げたハーツクライは勇躍、日本ダービー(GⅠ)に参戦する。
その道中、後方の17番手を進んだ彼は直線で豪脚を繰り出し、レコードタイムで駆け抜けたキングカメハメハには1馬身半差届かなかったものの2着に健闘。まだ馬体には幼さを残しながらも、良血の期待馬としての真価を垣間見せた。
しかし稀有な俊才は、ここから長いトンネルに迷い込む。
秋の始動戦となる神戸新聞杯(GⅡ)を3着とすると、クラシック三冠目の菊花賞(GⅠ)では1番人気に推されたが、持ち前の末脚が不発に終わって7着に敗れる。続くジャパンカップ(GⅠ)が10着、有馬記念(GⅠ)も9着と振るわないまま3歳シーズンを終える。
4歳になっても大阪杯(GⅡ)が2着、春の天皇賞(GⅠ)が5着、宝塚記念(GⅠ)が2着となおも勝ち星から見離されたハーツクライは、鞍上を横山典弘騎手からクリストフ・ルメール騎手にスイッチして秋シーズンに臨む。それでも秋の天皇賞(GⅠ)は6着に終わったが、夏の休養でたくましく成長した愛馬の姿に調教師の橋口は本格化の手応えを感じていたと、のちに述べている。
すると、続くジャパンカップでは後方から一気の追い込みを見せ、先に抜け出したフランキー・デットーリ騎乗の英国馬アルカセットをぐんぐんと追い詰め、馬体を並べてゴール。結果はハナ差の2着だったが、GⅠレース3勝のゼンノロブロイを3着に降したレースぶりは橋口が感じ取っていた感触に確信を抱かせるものとなった。
そしてハーツクライは、いよいよ自身の名を満天下に知らしめる伝説の舞台、有馬記念へと駒を進める。 このレースの主役は、デビュー以来7戦7勝、史上2頭目となる無敗の三冠馬となったディープインパクト。爆発的な末脚を武器に無双の進撃を続ける3歳馬に対して、ファンは単勝オッズ1.3倍の1番人気という圧倒的な支持を示した。
対するハーツクライは、ジャパンカップで英国の強豪とハナ差の激闘を演じたにもかかわらず、前年に秋の古馬三冠を制したゼンノロブロイと、菊花賞馬デルタブルースにも先を譲っての4番人気(オッズ17.1倍)に甘んじていた。しかし調教師の橋口と騎手のルメールは、自信とまでは言わないまでも、そうした低評価に対する反発を胸に大一番へと臨んでいた。
ゲートが開くとルメールは驚きの戦法を繰り出す。それまで指定席となっていた最後方からはるか前、何と3番手につけるという思い切った先行策に打って出たのだ。
逃げたタップダンスシチーが刻んだラップタイムは、1000mの通過が62秒1というスローペース。先行勢に有利な流れとなり、それを察知した武豊はディープインパクトを促して2週目の第3コーナー手前から徐々に位置を押し上げて直線へ向く。
逃げ込みを図るタップダンスシチーとコスモバルクを交わし、早めに先頭に立ったハーツクライ。それを外から追うディープインパクト。中山競馬場の熱気が最高潮に達し、大方のファンがディープインパクトの差し切り勝ちを思い描いた直線坂上。ハーツクライは二の脚を使ってしぶとく粘り、迫るディープインパクトを半馬身抑えて見事に金星を手中に収めたのである。
2頭がゴールを過ぎると中山は悲鳴と大きなため息に包まれ、そのあと場内は落胆の静寂に包まれた。ディープインパクトのファンはまだ現実を受け入れられない様子で、声も出せず、ただ黙りこくっていたのである。そんな異様な空気のなかで”新王者”ハーツクライの表彰式は行なわれた。
国内GⅠ勝利は有馬記念のひとつだけながら、宝塚記念とジャパンカップの2着も評価されて2005年JRA賞の最優秀4歳以上牡馬を受賞したハーツクライ。その授賞式の席上で、06年は海外遠征を敢行すると陣営から発表され、大きな注目を集めた。
5歳となり、充実のときを迎えたハーツクライが渡ったのはUAEで行なわれるドバイ・ワールドカップ・ミーティング。5つものGⅠレースが組まれたなかで、彼が出走したのは準メインのドバイシーマクラシック(芝2400m)だった。
ここでまたルメールとハーツクライは驚きの走りを見せる。好スタートを切り、するすると先頭に立つと、そのまま逃げの手に出たのだ。レースはそのままハーツクライのペースで進み、直線へ向くと追いすがる後続を力強い末脚で突き放し、何と2着のコリアーヒル(Collier Hill)に4馬身1/4差を付け、逃げ切りで圧勝を飾ったのだった。それは「ディープインパクトを破った馬」から「世界のハーツクライ」へと飛躍を遂げた瞬間でもあった。 次走は英国王室主催のロイヤルアスコット開催で実施される春の欧州・中長距離戦線の最高峰、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(英GⅠ)。世界の舞台へ名乗りを上げたハーツクライはここを照準に定め、勇躍アスコット競馬場へと乗り込んだ。
レースは激戦となった。6頭立てという少頭数のなか、ハーツクライは3~4番手を進み、ホームストレッチで一旦は先頭に立ったものの、襲い掛かるハリケーンラン(Hurricane Run)、エレクトロキューショニスト(Electrocutionist)と3頭による叩き合いとなり、惜しくも勝ったハリケーンランから1馬身差の3着となった。敗れはしたものの、欧州のタフな馬場で世界のトップオブトップと互角の勝負を繰り広げたこのレースに日本のファンは沸きに沸いた。
しかし橋口やルメールは遠征先の英国で、愛馬に忍び寄っている病に気付きはじめていた。ハーツクライが調教から引き揚げてきた際に、喉が「ヒュー、ヒュー」と音を立てているのを耳にしていたのである。これは喘鳴症、俗に言う「喉鳴り」の症状だった。
喘鳴症とは、喉の筋肉の一部が麻痺して垂れ下がり、気道を狭めてしまう病気で、症状が重くなると競走能力に大きな影響を与える。GⅠホースのダイワメジャーやゴールドアリュールなどが罹患したことでも知られるものだ。
ハーツクライはキングジョージからの帰国後、喉鳴りの症状がよりはっきりするようになった。それがどれだけ競走能力に影響を及ぼすかは分からない段階ではあったが、ジャパンカップに出走を決めた橋口は、同時にこのことをファンに伝えておくべきだと意を決し、マスコミに向けてハーツクライが喘鳴症を発症していることを公表した。実直な橋口の人柄が伝わってくるような行ないだった。
果たしてハーツクライはジャパンカップで勝ったディープインパクトから2秒6も離され、11頭中10着に敗れた。そして橋口はオーナーと協議のうえ、この敗戦は喘鳴症が原因で、これ以上ファンに迷惑はかけられないと、愛馬の引退。そして種牡馬入りを発表した。
本格化を果たし、有馬記念を制してから1年弱。病魔に侵されて、わずか3戦での引退を強いられたことは惜しんでも余りある悲運であった。
種牡馬入りしてからの彼の活躍はご存知の通り。日本のみならず、海外でもG1ホースを生み出し、その総計は13頭にものぼる。産駒にはドウデュースと、橋口が管理したワンアンドオンリーという2頭の日本ダービー馬をはじめ、ジャスタウェイ、シュヴァルグラン、リスグラシュー、スワーヴリチャードなど、錚々たる顔ぶれが揃い、2019年には種牡馬ランキングで自己最高の2位を記録している。
ハーツクライは2020年をもって種牡馬活動から引退。以降も社台スタリオンステーションで功労馬として余生を過ごし、23年の春に22歳でこの世を去った。
勝負ごとに「たら」「れば」が禁物であるとはよく言われることだ。それでも、「もし喉鳴りさえ起こらなければ、どこまで強くなったのだろう」と、つい夢想したくなるのがハーツクライの競走生活であり、種牡馬として大成功を収めたことを知ると尚更のことである。そうした叶わぬ夢に思いを致すのもまた競馬に接したがゆえの楽しみであり、同時に歯がゆさでもあると、ハーツクライを思い出すたびに感じる。
文●三好達彦
2024年『競馬界10大ニュース』を独自選定。“スマホ問題”で人気騎手が電撃引退、相次ぐ不祥事に負の連鎖が止まらず
師走の中山競馬場で行なわれた今年最後のGⅠの裏で、電撃引退した怪物馬の「13」が再脚光
ディープインパクト産駒が積み上げてきた偉大な最長記録「13」。ラストチャンスを阻む最大の敵は、父の背中を唯一知る武豊【有馬記念】