ところで、役行者(えんのぎょうじゃ)って誰?

投入堂は役行者が宝力で投入れたという伝説から投入堂と名づけられました。では、役行者とはいったい誰なのでしょう。

役行者とは役小角(えんのおづぬ)という名で、飛鳥時代の奈良に生まれ、7~8世紀に活動していたと思われる修験道の開祖とされています

役行者が学んだのは断片的に伝わってきていた密教だったのでしょうか。それだけでも既に力のある人のような、ミステリアスなイメージです。

役行者はまた、呪法で鬼神を使役し、水汲みをさせたり薪をとらせたりしていたという言い伝えも残っています。

20代の頃には藤原鎌足の病気をその力で治したとも言われており、鎌倉時代には高い法力を持つ行者として伝記まで作られるほど、不思議の力を現す行者として讃えられてきたのでした。

そして三徳山三佛寺の投入堂は、この役行者がその不思議の力で崖の窪みに投げ入れたお堂ということで「投入堂」というわけです。


役行者象(鎌倉時代の作)。鬼神を2体従えています / credit: Wikimedia Commons

険しい参道を登りきると、やがて目の前に投入堂が見えてきます。

投入堂は凝灰角礫岩と溶岩との境界部にできた天然の小さな窪みに、すっぽりはまり込むように建てられています。凝灰角礫岩の急崖が足場。窪みに合わせた垂直の柱を横木が支えます。

お堂の上には安山岩溶岩の柱状節理が覆いかぶさるように張り出しているので、じっくり観察してみましょう。

柱状節理というのは溶岩や溶結した火砕流堆積物が冷えて固まる時に、体積が収縮してできた割れ目が六角形や五角形などの柱のようになって固まった岩石です。これだけでもダイナミックな眺めですね。

高い崖の途中にある窪みは柱状節理とそれ以外の岩石の境目にできたものです。窪みに建てられた小ぶりな懸造は、役行者が不思議な力で投げ入れたという言い伝えが本当かもしれないと思いたくなる佇まいの懸造です。


投入堂のある岩の窪みは、上部が柱状節理になっているのも見どころ / credit: Wikimedia Commons

しかし、この垂直の柱を立てるための足場はどこに立てたのでしょうか。

これは未だに解明されていません。素朴なひとつのお堂が国宝になっている理由はここにあります。

どうやって投入堂を建てたのか。懸造の、あの垂直の柱を立てるための足場はどうしたのか。答えがわからぬまま全身が感動に包まれていきます。これが国宝の力……。

道なき道を苦労して登った甲斐があったという思いを抱きつつ、帰り道は元来た道を辿ります。首尾よくここまで登れたご褒美に、実は帰りは楽な道が用意されているということはありません。

帰り道も行きと同じ道で、行きと同様に危険です。遭難したら大変なので気を抜かずに降りましょう。山登りは下りの方が危険だといいます。

下りきれば山の中とはいえ、そこは普通にお寺です。静寂の中、さっきまでの苦闘は何だったのか。投入堂を見たのが夢だったのかというほどの環境の違いに、いっそすがすがしい気分になっているかもしれません。

投入堂は、実際にそこまで登ってみると役行者が投げ入れたと言われても不思議に感じないほど、崖の窪みに唐突に立っているお堂です。


あの崖に見えるのが投入堂。あそこまで登ると国宝が見られます / credit: Wikimedia Commons

そして「見に行くのが日本一危険な国宝」と呼ばれ道なき道をよじ登っていく、遭難の危険すら感じるところもある参道を自力で登らなければならないのです。

投入堂の参拝登山は「三徳山入峰修行」と呼ばれます。物見遊山ではなく修業だということを心して登りましょう。

日本国内に数ある懸け造りですが、未だ解明されないその建築方法の三徳山三佛寺にある投入堂。地震にも台風にも大雪にも耐え、しっかり崖の窪みに建ち続けている投げ入れ堂は、日本の建築史に謎のまま残り、現在に至っています。

参考文献

三徳山三佛寺 国宝投入堂ホームページ
https://www.mitokusan.jp/

ライター

百田昌代: 女子美術大学芸術学部絵画科卒。日本画を専攻、伝統素材と現代素材の比較とミクストメディアの実践を行う。芸術以外の興味は科学的視点に基づいた食材・食品の考察、生物、地質、宇宙。日本食肉科学会、日本フードアナリスト協会、スパイスコーディネーター協会会員。

編集者

海沼 賢: 大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。