
24.6%――。これは日本人の死因1位である悪性新生物(がん)による、年間の死亡総数に占める割合だ(厚生労働省「人口動態統計(確定数)」2023年より)。じつに4人に1人がこの病により命を落としており、それはかつての名選手も例外ではない。現在はプロ野球解説者として活躍する江本孟紀氏も、過去に胃がんで死を覚悟したことがあったという。そこから見事、仕事復帰を果たした “エモやん流”、病の克服術を聞いた。(全3回の3回目)
がん発覚時に覚えた「敗北感」
南海、阪神でエースを務め、「ベンチがアホやから野球がでけへん」発言により、34歳であっさりユニフォームを脱ぎ、はや43年。引退後は舌鋒鋭く球界を叩き斬ってきた江本孟紀氏も、喜寿(77歳)を迎えている。
81.09歳。日本人男性の平均寿命(厚労省発表「令和5年簡易生命表」より)も視界に入る年齢だが、江本さんがはじめて死を意識したのは8年ほど前だった。
「2017年3月に、ギャル曽根と番組(2017年4月10日放送、日本テレビ系「有吉ゼミ」)でそばの大食い対決をしたんです。
それまでも胃に違和感があったけど、胃薬を飲めば治ってた。それが番組収録中に今まで感じたことがない、胃が破裂するような痛みがあったので、内視鏡を見てみたら一発アウト。スキルス胃がんだったんです」
胃がんの約10%を占めると言われるスキルス胃がんは、胃の壁を厚く硬くさせながら広がっていく進行が速いがん。胃がん全体の5年生存率が60~70%なのに対し、末期のスキルス胃がんはわずか7%ほど。そして、江本さんの場合、発覚した段階でその病魔はステージIVに近かった。
「でもそんなに深刻には思わなかったね。50代なら死ぬイメージができてなかったけど、60くらいからまわりで死ぬやつも出てきた。『自分はどんなふうに死ぬのだろう』とふと頭によぎり始めてたから、俺はこれで死ぬんだと覚悟ができた」
それでも、本人の言うところの“敗北感”を覚えたという。
「やっぱり人間だれしも『〇〇よりも健康だ』『××よりも貧乏になってない』って感じで、同世代を意識して競いながら生きてる。だから、もうすぐ死ぬとなると『あんなやつが健康なのに……』と負けた気分にはなったよね」
負けん気の強いピッチャーならではの考え方だ。
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「食欲がなくなったら終わり」
番組収録の3か月後に行った胃の全摘出手術はとりあえず、成功。再発や転移の多いスキルス胃がんだが、術後の経過は転移もなく、腫瘍内科の先生も逆に首を傾げていたほどだった。
そして、約8年が経過。“生還した”と言っていいだろう。本人も「やっと普通の人の2倍くらい食べられるようになった」と冗談を言うなど、元気そのものだ。それにしても、なぜ5年生存率約7%という大病を克服できたのか。
「人に言わせれば親のおかげ、体力のおかげ、野球のおかげってことだけどね。山本浩二さんも(2019年に)がんで肺と膀胱を切っていて、それ以降、10回以上一緒に食事などしてるけど、すごく元気。やっぱり我々昭和の野球人は小さい頃から嫌いなうさぎ跳び、水飲み禁止で鍛えられてるから、そのおかげかな(笑)」
「まあ、それは半分冗談として」と江本さんは続ける。
「人間はやっぱり食欲。王(貞治)さんだって、胃がんで胃を全摘してるけど、普通に食べるからね。
病気後、悪化するやつに共通してるのは食うことをバカにしてる。
インテリジェンスの高いやつらは、よく食べる俺たちを見て『肉体労働者はガツガツ食うね』っていって、自分らはショボショボしか食べない。でもそれじゃダメ。食欲がなくなったら終わり。年寄りが死ぬのは病気じゃなくて栄養失調なんです」
あくまで江本氏の持論も、そこには金言が大いに含まれているように感じる。実際、退院時には担当医とこのようなやりとりがあったそうだ。
「術後約10日で退院となったとき、管理栄養士が来て食に関する注意事項をバーっと言ってきた。『そんなに食えないものがあったらどうしようもないじゃないか……』と思っていたところ、担当医が来て『言うことを聞いてたら逆に病気になるよ。食べたいものはどんどん食べてください』と言われて。
こっちはようやくおかゆをすすれるようになったくらいだったけど、俺は食い意地の塊だからね。精神的にすごく楽になったよ」