金髪の長髪で口にピアスを開けたイマドキの若者…。YouTuber・岸谷蘭丸を『Abema Prime』やネットニュースで知った者は、そのような表層的な印象を抱くだろう。父に俳優の岸谷五朗、母に元プリンセス プリンセスの岸谷香を持つ「芸能人2世」の彼だが、俳優やミュージシャンの道には進まず、海外受験や留学に関するYouTubeやTikTok動画で人気を博している。
岸谷蘭丸とは何者なのか
2024年には英語塾として有名な「Liberty English Academy」と提携した海外大受験塾「MMBH留学」や、留学プラットフォーム「留パス」を設立。実業家としての道を歩み始めた。
自身が2世であることを告白したのも、この事業のためである。
そんな彼がYouTubeを始めたのは2021年。浪人中(海外に浪人という文化はないため厳密にはギャップイヤー)のことだった。
「海外の大学は出願が12月ということもあって、マジで暇だったんです。そんなときに、友人に勧められてチャンネルを開設しました。
当時、Twitter(現・X)で『100日後に死ぬワニ』が流行っていて、それを受けて僕はアメリカのスタンフォード大学を受けていたので、『100日後にスタンフォードに受かる浪人生』という企画をやったんですよ」
ただ、受験生のため、毎日動画を投稿するのは難しい。
それでも、飛び飛びで経過報告はしていた。徐々にチャンネル登録者数は増えていき、翌年3月に突如として転機が訪れる。
「『東大合格発表の瞬間 』という動画をアップしたところ、TikTokで300万回以上再生されたんですよ。
帰国子女入試で『魂のエッセイ』を書いたのですが、結果は一次試験で不合格。
それでも、スマートフォンの通知が止まらないくらい一気にバズり、同時期に第一志望だったイギリスのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に合格することができました」
現代社会は個人の評価が重視される「評価経済社会」である。
自らが発信力を持って、個人の評価を高めるということは必須だ。どんな仕事をするにしても、発信力が物を言う。そうした気持ちもあって岸谷はYouTubeを始めたという。
「目立ちたい」「チヤホヤされたい」……そういった承認欲求もありつつ、「寂しかったから話を聞いてほしい」という思いが勝ったのだとか。
「3〜4歳の頃にリウマチの診断を受け、入退院を繰りしたことで、親から多大な愛情を得て育ち、大学に受かったことで周囲から承認されていたため、承認欲求自体には困っていませんでした。
『自己肯定感が下がる』というのは『自分はこうあるべきだ』という姿と、他人が思う『君はこうだよね』という評価が一致していないという齟齬が生じることだと思います。
自己肯定はすでにできていたので、どうしても承認欲求を満たしたいという気持ちはなかったですね」
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母から言われた「命がもったいない」
現在、イタリアのボッコーニ大学に在学中の岸谷だが、中学受験をして早稲田実業中学に進学するなど、エリート街道を歩んでいた。というのも、同校はよほど成績が悪くない限り、高校と大学には推薦という形で進学することができるからだ。
しかし、卒業後は付属の早稲田実業高校には進学せず、アメリカの高校に留学する。当時の選択を彼は「ドロップアウト」と表現する。
「僕は得たいものがあるから勉強して、得たいものがあるから努力する…。
つまり、自己実現のために必要な努力をやってきただけで、特別な野望があったり、真面目でやらなくてはいけないことをしっかりと遂行できるような人間ではありません。
ただ、『得たいものを得る』という能力が高かっただけなんです」
中学受験に合格したことで、『小児リウマチを克服して早稲田に入れたのはすごい』と周りに評価され、『特別な存在でありたい』という気持ちが満たされた。
合格したことで目標は達成されてしまい、その結果、入学後は早稲田でやりたいこともなくなり、堕落してしまった。そもそも、同校の校風が自身には合わなかったとすら振り返る。
「僕は『勉強する人はバカだ』とすら思っていました。黙っていても早稲田大学に入れるため、『なんで、わざわざ労力をかけて勉強するの?』と感じてしまったんです。
そのような考えだったため、僕は勉強せず、成績は下から数えたほうが早いほど悪く、高校では確実に留年するという、どうしようもなくダラけた状況でした。
もう、人生のリカバリーができなかったのです。そんなとき、母親から『このままだと命がもったいない』と言われて一念発起しました。その時初めて堕落していくことへの危機感を覚えたんです」
しかし、3年間何もしてこなかったため、新たに偏差値の高い高校を受け直すことは不可能だ。ただ、学校のレベルが下がってしまうのも避けたい。
そこで、国内はあきらめ、アメリカの高校に留学して「海外逃亡」をすることに。さすがに、このときばかりは実家の太さに感謝したと話す。
「僕は日本が好きすぎで、家族旅行でイギリスに行くときも『僕は残る』というくらい海外に興味はありませんでした。
そこから、まずは英語力をつけるためにフィリピンに語学留学をするのですが、その辺で野犬がうろうろしている環境に衝撃を受けます。
さらに、同じく語学留学に来ている日本人の大学生や社会人たちから、大きく影響を受けて毎日脳汁が溢れていました」