錦織圭、全豪オープン大逆転劇のテニスコートに交錯した「想定内」と「想定外」<SMASH>

 相手のショットがネットをかすめラインを割ると、錦織圭は両手の拳を握りしめ、目を硬く閉じ、屋根の閉まったジョン・ケイン・アリーナの上方へと顔を向けた。

 2セットを落とし、2本のマッチポイントにまで追い詰められながらの、4-6、6-7(4)、7-5、6-2、6-3の逆転勝利。試合時間は、4時間6分。

 それは満稀有なるどんでん返しながら、どこか既視感溢れる光景でもある。現に、錦織の5セットでの勝利はキャリア通算29勝を誇り、うち8度が全豪オープンで演じたものだ。さらに2セットダウンからの逆転勝利も、この地で3度を数える。

 試合後、マネージャーのオリバー・バンリンドンク氏は「なんか懐かしいね」と疲れた笑みをこぼし、大会公式Xは「錦織を5セットで破った人よりも、月面を歩いた人類の方が多い!」と記した。

 1万5百人を収容するジョン・ケイン・アリーナは、その多くが入場券のみで入れる自由席。真に試合を見たいと切望するテニスファンが列を成し詰めかけることから、“People’s Court”の愛称でも知られる。

 その“大衆のコート”を熱狂させた、熱くスリリングな錦織劇場――。それは、元世界4位の35歳と、予選を突破しキャリア2度目の全豪2回戦進出を狙うチアゴ・モンテイロ(ブラジル)の、「想定内」と「想定外」が複雑に交錯し編み上げた、人間味溢れる物語でもあった。
  試合後に錦織は、コートに向かう自身に「下の選手とやる」という心持ちがあったと振り返った。実績でも現時点でのランキングでも、錦織はモンテイロを上回る。5年前のウインブルドンで快勝した時の印象も、錦織の中にあっただろう。

 対するモンテイロには、錦織に対する情報と敬意があった。

「ケイは素晴らしい選手で、ファイター。そして、素晴らしいリターナー。だから僕は、良いサーブを打ち続けなくてはいけないことはわかっていた。あとは、攻撃的姿勢を貫かなくてはいけないことも」

 錦織の高い能力を想定するモンテイロは、高い集中力と揺らがぬ決意でコートに向い、序盤からコートを駆けまわり全力でボールを叩いた。そしてそんな高質のプレーは、錦織にとって「想定外」。特に錦織を惑わせたのが、モンテイロのサービスだった。

「チャンスが無かった訳ではないのに、サーブで凌がれた。『サーブ、こんなに凄かったんだっけ?』と。そこまでビッグサーバーだと思っていなかったので、より自分へのイライラが溜まってしまった」

 そう錦織が、述懐する。実際にモンテイロのサービスは、常時200㎞を超えるスピードで、あらゆるコーナーに突き刺さる。第1、2セットともに、錦織は一度もブレークできずに落とした。

 そうして後のなくなった、第3セットの第10ゲーム。自身のサービスゲームながら、錦織は2度のマッチポイントに追い詰められた。

「正直、負けると思った」

 それがコートに立つ錦織の、偽らざる胸中だったという。
  対するモンテイロには、「1~2セットは、作戦をもの凄く高いレベルで実行できた」との実感がある。ただ一つ、彼の中でも「想定外」だったのが、切れ味鋭い錦織のサービスだ。

「今日の彼は、サーブが凄く良かった。エースを17本も決められた」

 後にモンテイロが、打ち明ける。想定通りに物事が進む時ほど、想定外が重くのしかかるだろう。予想を上回る錦織のサービスに、彼も重圧を覚えていた。マッチポイントを逃した直後のゲームで、盤石だった彼のサーブに綻びが見えたのは、心理的圧迫感も影響しただろう。この試合12度目のブレークポイントで、ついに錦織がブレーク。ファンの大声援を背に、元世界4位が3セット目を奪い返した。

 第4セットに入った時、潮目の変化は誰の目にも明かになる。モンテイロのファーストサービスが入らなくなり、それに伴い、錦織のリターンが鋭さを増した。第3ゲームをラブゲームでブレークした錦織は、第5ゲームも相手のダブルフォールトでブレーク。この直後、モンテイロはメディカルタイムアウトを取り、その後はボールを追わない場面も増える。やや一方的な展開で、第4セットは錦織が取った。
 「ケガと言うほどではなく、足の付け根に張りと違和感を覚えた。テーピングをしてもらい、痛み止めを飲んだらおさまった」

 試合後にモンテイロは、そう説明しケガを言い訳にはしなかった。
 
 ただ展開的にも劣勢になるなかで、今度は誰もが知る錦織の特性が、彼の心身に重くのしかかっていただろう。それはもちろん、現役選手中最高勝率を誇る、錦織のファイナルセットでの強さ。

 逆に錦織は「みんなが教えてくれるから、6~7年前から自分の最終セットの勝率が良いことは知っていた」と笑う。ファイナルセットも第3ゲームを錦織がブレーク。この時点で、試合の行方は、ほぼ決した。

 試合後の会見では、英国や地元記者らがこぞって、錦織に「ファイナルセットに強い理由」を尋ねる。メディアやファンも良く知るこの事実が、最終セットでの“大衆のコート”を、錦織勝利の予感で満たしたのは間違いない。

 二人の「想定内」と「想定外」が交錯する中、錦織に勝利をもたらしたのは、この日のコート上で生まれた要因だけではない。錦織がこの地で、足かけ16年間演じてきた逆転ドラマの数々。そしてキャリアを通じ集積してきた、歴史の重みの勝利でもあった。

現地取材・文●内田暁

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