トヨタのドライバーに、F1への道が開かれはじめた。2023年の平川亮マクラーレンF1リザーブドライバー就任を皮切りに、2024年は宮田莉朋がF1直下のFIA F2への参戦をスタート。さらに同年にはトヨタとハースの提携もスタートし、2025年は平川がアルピーヌのリザーブに就任、宮田はF2に継続参戦し、新たに中村仁が欧州のフォーミュラ・リージョナルに参戦することになった。
トヨタはかつて2002年からF1にワークス参戦し、その間に中嶋一貴がトヨタエンジンを積むウイリアムズから、小林可夢偉が代役という形でトヨタからF1デビューを果たした。しかしトヨタは2009年でF1から完全撤退し、以後トヨタドライバーがF1の舞台に立つことは長らくなかった。
ただトヨタは最近、ドライバーたちが世界最高峰の舞台であるF1を夢見ることができる環境を提供すべく、F1との関わりを強めている。これまでF1参戦が夢だと公言していた宮田も、スーパーフォーミュラでのチャンピオンという結果を足がかりに、F1に直接繋がるカテゴリーで戦うチャンスを得た。
F2での1年目は、ライバルと比べて欧州のサーキットでの走行経験に大きな差があったことなど様々な要因があり苦戦した宮田だが、一定の経験を積んだ状態で迎える2年目は名門ARTへの移籍も相まって一層期待がかかる。宮田としても、この2年目にしっかり結果を残すことができれば、F1のチャンスも広がるはずだと期待感を口にしている。
このように、自身の夢であるF1参戦に向けて追い風が吹きつつある宮田。しかしながらある意味疑問と言えるのが、これほどF1志向のある宮田が、なぜ既にF1から撤退しているトヨタのドライバーとしてキャリアを歩むという道を選んだのかだ。
宮田がカートから4輪カテゴリーにステップアップし、トヨタのスクールでスカラシップを得たタイミングは、ホンダがF1復帰を果たしたタイミングとも重なる。ただ宮田は、「ホンダのスクールで落選した後トヨタに〜」などというパターンではなく、当初からトヨタ系のFTRSを受講していた。そこにはどんな背景があったのか?
これについて宮田は、自身のカート時代の恩師である高木虎之介の言葉が大きな影響を与えたと明かした。
元F1ドライバーである高木は、スーパーGTでトヨタ系チームの監督を務める傍ら、TAKAGI PLANNINGというカートチームを率いている。カートレースの参戦資金に窮していた当時12歳の宮田の才能を見込んで手を差し伸べたのが、高木だったのだ。
「僕は小さい頃からF1ドライバーになりたいと思って頑張ってきました。もちろん難しい壁があることは分かっていましたが、それが夢でした」と宮田は言う。
「13歳の時、虎之介さんと『トヨタから支援を受けるべきか、ホンダから支援を受けるべきか』という話をしたことがありました。虎之介さんは当時から(スーパーGT)トヨタ系チームのZENTで監督をされていて、ヤマハ(こちらもトヨタ系)のカートチームの監督もやっていました」
「その時はちょうどホンダがF1に復帰するというタイミングでしたが、『本当に速いやつはどこにいても絶対にF1に行く』『トヨタだろうがホンダだろうが、絶対に見てる人はいるから』と。これは僕が本当に一生忘れられない言葉です」
「ホンダに行ったからといって100%F1に行けるわけではないですし、トヨタを選んだからってF1の道がないことはない。だから今トヨタが応援しようとしてくれているこの環境に感謝して速く走れば、絶対に道は開けると言ってくれました。それが僕がトヨタさんと一緒に(レース活動を)やったきっかけでした」
虎之介監督の言葉通り、速さを見せ続けた先にF1という道が少しずつ現実のものとなりはじめた宮田。モリゾウことトヨタの豊田章男会長は、トヨタドライバーがF1の夢を口にしづらい環境があったのではと慮っていたが、その中でも宮田はF1の夢を周囲に伝えながら、レースに邁進してきた。「そうやってきた頑張ってきたことで、背中を押してくださるモリゾウさんをはじめとするTGR(TOYOTA GAZOO Racing)の皆さんが、F1の舞台へ行けるよう応援してくれているんじゃないかと思っています」と宮田は語った。
「今こうやって(夢が)現実になってきています。誰がどうということではなく、ずっと信じてくれたTGRの皆さん、虎之介さん、家族に感謝しています」