マクラーレン、フェラーリ、ウイリアムズ……F1“名門御三家”の全てに所属するのはサインツJr.が歴史上4人目。他3人はレジェンド揃い

 2025年、カルロス・サインツJr.はウイリアムズF1に移籍して新天地でのシーズンを迎える。過去10年のキャリアでトロロッソ、ルノー、マクラーレン、フェラーリと様々なチームを渡り歩いてきたサインツJr.にとって、ウイリアムズは5チーム目となる。

 サインツJr.の直近の所属チームであるマクラーレン、フェラーリ、ウイリアムズは、いずれもF1史に残る名門チームだ。しかし実はF1の長い歴史の中でも、これら“名門御三家”の全てに所属したドライバーは過去に3人しかいない。少なくとも、21世紀に入ってからはサインツJr.が初となる。

 では、その3人のドライバーとは誰なのか? 順に紹介する。

 まずひとり目はジャッキー・イクス。F1で8勝、ル・マン24時間で6勝を挙げた、紛うことなきレジェンドドライバーだ。

 イクスがキャリアで最も長く所属したのはフェラーリ。1968年、1970年〜1973年にわたって跳ね馬をドライブした。ただ成績が低迷した1973年はシーズン途中でフェラーリを離脱し、マクラーレン、ウイリアムズ(イソ-マールボロ)でスポット参戦。その後1976年にはウルフ・ウイリアムズのドライバーとしてウイリアムズFW05(ヘスケス308Cのリブランド)を走らせた。

 ふたり目はアラン・プロスト。4度のF1ワールドチャンピオンであり、そのうち3回をマクラーレン、1回をウイリアムズで達成している。

 最も長く在籍したのはマクラーレンで、1980年、1984年〜1989年の計7シーズンを戦い、デビューイヤーの1980年を除けばほぼ毎年王座争いに絡んだ。その後当時のチームメイトだったアイルトン・セナとの確執もあり1990年にフェラーリに移籍。同年はセナとタイトル争いを演じたが、この年はセナに軍配が上がった。そして1991年には成績低迷に伴いフェラーリとの関係が悪化し、最終戦を待たずしてチームを離脱した。

 1年のブランクを経て1993年に復帰したプロストは、当時最強のウイリアムズのシートを得た。そこでは圧倒的な強さで4度目のタイトルを獲得し、そのF1キャリアに華々しく終止符を打った。

 そのプロストと同時期に活躍したナイジェル・マンセルが3人目のドライバーだ。デビューもプロストと同じ1980年(マンセルの場合はシーズン途中のデビュー)で、“同期”と言ってもいい。

 マンセルは1985年、ロータスからウイリアムズに移籍。当時ホンダエンジンを積み上り調子だったウイリアムズでマンセルは初優勝を挙げると、1986年、1987年に共にタイトル争いに絡んだが、いずれもあと一歩のところで戴冠を逃した。

 1989年にはフェラーリに移籍すると、その初戦でセミオートマを初搭載したマシンをいきなり勝利に導いた。2年間で3勝を挙げたフェラーリを去ると、1991年には古巣ウイリアムズに復帰。同年には5勝を挙げてランキング2位、1992年はハイテク装備が熟成されたFW14Bを駆って当時最多の年間9勝を記録し、悲願のチャンピオンとなった。

 タイトル獲得を機に一度はF1から離れていたマンセルだが、1994年にはアイルトン・セナを事故で失ったウイリアムズからオファーを受けスポット参戦。最終戦では優勝も飾ってみせた。そして翌1995年にはマクラーレンのレギュラードライバーとして参戦することが決まったが、シートフィッティングの問題で開幕2戦を欠場すると、その後わずか2戦を走っただけであっさり引退を決断してしまった。

 F1通算4勝と、上記3人と比べるとリザルト面では劣るサインツJr.。2025年に所属するウイリアムズも今では中団下位のチームであり、いきなり好成績を期待するのは難しいだろう。彼がこのウイリアムズの立て直しに見事貢献することができるか、そしてそういった実績を手に再びトップチームのシートを得ることができるか、キャリアの重要な局面に立たされている。