「同期にも言われました。直した方がいいって」V13帝京大を支えた主将・青木恵斗、リーダーとして己に向き合った日々「濃い、1年だったと思います」【大学ラグビー】

 青木恵斗が暴れた。

【動画】11月の関東大学対抗戦・帝京大vs早稲田大
 1月13日、東京・秩父宮ラグビー場。身長187センチ・体重110キロの帝京大主将は、4大会連続13度目の大学日本一をかけて大学選手権決勝に挑んでいた。

【動画】11月の関東大学対抗戦・帝京大vs早稲田大 前半5分の攻防では、フィールドの右端を走った。迫るタックラーをひとり、ふたりと蹴散らし、3人目にもぶちかまし、仲間へ背中越しのパス。先制点をおぜん立てした。

 約7分後には、敵陣ゴール前での連続攻撃から自らフィニッシュした。向こうの反撃で序盤の14点リードを2点に縮められた24分には、電光掲示板付近で観戦する控え部員にもっと応援するよう煽った。

 続く26分頃には、向こうからやってくるランナーに激しく突き刺さって味方のスティール(接点で相手の球に絡むプレー)をアシスト。攻守逆転に繋げた。

 1点を勝ち越されていた後半5分にはゴールポストの目前で突進し、チーム3本目のトライを引き出した。21―15と逆転した。

 以後は、着実に加点しながら耐えた。

 28―15としていた後半30分頃のピンチは、全6フェーズを通して2本のタックルを繰り出した。

 最後もややふらつくそぶりを見せながら、23フェーズもの防御局面をしのいだ。

 早朝からの走り込み、高重量に取り組むウェートトレーニング、日野市内の寮、グラウンド、キャンパスの間を、それぞれ場所の集合時間に間に合うよう約10分から30分以上ずつかけて歩き回る日常の、全ての、成果を活かした。

 33―15。ノーサイドを迎えた。「グラウンドに立ち続ける」という、自身にとっての理想の主将像を全うした。

「最後の大学ラグビー、楽しもう」と晴れやかな顔つきで入場した芝の上で、歓喜の涙を流したのだった。

「濃い、1年だったと思います」

 さかのぼって3年目の冬。最終学年時の主将を決めるミーティングの際、事前に集めたアンケートでは本人こそ「自分に(票を)入れてはいけない」と副将となる李錦寿を推したものの、開票すればほぼすべての票が自分に集まっていた。

 議題は「誰を主将にするか」ではなく「1年時から主力の青木新主将を周りがどう支えるか」になった。
  リーダーは日々、進歩を促された。

 下級生の頃は対戦校のラフプレーに激高することもあったが、クラブを引っ張る立場とあって自制を心がけるようになった。
  決勝戦でぶつかる早大には夏の練習試合、秋の関東大学対抗戦Aで敗れ、その間、同級生とストレートに意見を交わした。

 ここでも、見つめ直したのは己にまつわる問題だった。

「僕はどちらかと言うと、感情が出るタイプ。今年も対抗戦の最初のほう(早大戦の約2か月前)までそういったところが出ていた。主将としてそういうことをしてしまったら、多分、チームは不安定になる。同期にもそう言われました。直した方がいい、って。僕が同期の好きなところは、思っていることは——それが嫌なことであっても——ちゃんと言ってくれるところです」

 帝京大の主将がどうあるべきかを定め、自分がそのようにあるためにどうあるべきかを整理してきた。

「どう直したか…。それは、わからないですけど、結構、楽観的に考えるようにしました。もともとは心配性で、どんどん自分で考え込んでしまうんですけど、『(万事を)大丈夫』と捉えるようにしたら、(落ち着いて)全体が見えるようになりました」

 心身に負荷をかけ、本質的な逞しさを紡いできた。

 脳内に霧がかかった時は、その様子を仲間に見せまいと母の美登利さんに電話で相談。実家で直径が「スマホの縦くらい」のハンバーグを食べさせてくれていた母には、小学1年で藤沢ラグビースクールに入ってからずっと応援してもらっていた。

 周囲の力も借りて頂点に立った。これからは日本代表としてワールドカップに出るのを「夢」でなく「目標」として生きる。

取材・文●向風見也(ラグビーライター)
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