新聞社の特派員としてアフリカの最深部に迫ったルポ・エッセイ『沸騰大陸』。ルポライターとしての活動により「組織内フリーランス」として自由に取材をしているように思われがちだが、「実際はまったく違う」と著者の三浦英之氏は言う。睡眠時間や命を削ってまで、彼が描きたかったものとは。創作スタイルから紐解く。〈全3回の3回目〉
写真家として
――三浦さんの著作の大きな特徴の一つが、著者本人が撮影した写真です。今回の『沸騰大陸』にも、表紙カバー含めて、多数の貴重な写真が収録されています。
三浦英之(以下同) 海外メディアと日本メディアの大きな違いの一つに、ライターとカメラマンの分業制があります。海外メディアの多くは、ライターとカメラマンがそれぞれ完全に分業されているのに、日本では現場の記者が大抵、現場の写真撮影も担うことが多い。
クオリティーとしては、前者の方がだいぶ良いものができるのですが、僕自身としては、後者の方が有り難く感じています。
――なぜでしょうか?
僕はそもそもカメラマン志望なんです。大学院を卒業した時の第一志望は、無謀にも米ナショナル・ジオグラフィックでした(笑)。僕はネイチャー・カメラマンになりたかったんです。
職業記者になって感じることは、国内外のどの現場でも、やはりカメラマンは最前線に行く。一番危険なところ、一番ホットなところに、両肩に大きなカメラをガチャガチャぶらさげて行くんです。実にかっこいい。
ライターは、そこからだいぶ離れた安全なところで記者会見に出たり、人々の話を聞いたりする。弾丸の飛び交うようなところで、人々の話は聞けませんから。でも、僕自身は現場の最前線に行きたいんですよ。だからいつもカメラを持って、僕は「一番前」に行きます。
――取材の最前線の空気が、写真からも文章からも伝わってきます。
でも一方で、僕は写真の人間じゃなくて、文章の人間なんだと自覚しています。写真に関しては、やはりプロのカメラマンのほうがうまい。
文章については、これまでの積み重ねもあり、「商品」として人に読んでいただけるものを書ける自信があります。
でも、僕はカメラを手放さない。なるべく最前線に行って、写真を取り、そこで見たものを、感じたことを、自らの文章に置き換えていく。僕はそういう現場では意図的にズームレンズではなく単焦点レンズを使ってるので、どうしても対象に寄って行かざるを得ない。それも自分の文章に良い効果を与えてくれていると信じています。
――一人で両役をやってると、煩わしく感じることはありませんか?
全くないですね。逆に、取材対象者に真正面から向き合い続けていると、ちょっと照れて恥ずかしかったりするんですよ。でも、カメラを構えると、いろんな角度で寄ることができたり、「あ、この人、こんな表情するんだ」とかっていう発見があったり、文章を書くための、すごくいいツールになるんです。
僕が「ノンフィクション作家」じゃなくて「ルポライター」を名乗っているのも、絶えずカメラを抱えて、現場にできるだけ足を運び、写真を含めた作品を作っているから、というのが大きな理由の一つです。
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先人たちの轍の上を歩く
――三浦さんの作品には共通して、取材対象に鋭く切り込む視点と、取材当事者としての思いがにじみ出る部分とが絶妙にバランスしており、そこがとても印象に残ります。このあたりに関して、ご自分ではどう感じていらっしゃいますか?
これは、これまでルポルタージュやノンフィクションという分野を築きあげてきてくれた先人たちの影響です。
僕は学生時代からこうした分野の作品を読むのが大好きで、例えば、開高健さんだったりとか、児玉隆也さんだったりとか、沢木耕太郎さんだったりとか、近藤紘一さんだったりとか。朝日新聞でいえば、本多勝一さんや伊藤正孝さんかな。
そんな作家やジャーナリストの大先輩たちが書いた素晴らしい本があり、それを何度も何度も読み返してきた。
そこにはやはり、取材対象やテーマの話だけじゃなくて、僕がいま作品化しているように、酒を飲みながら仲間とこう語り合ったとか、銃弾の飛び交う戦場を鉄兜をかぶって駆け抜けたとか、それぞれ取材する自分たちの話がいっぱい出てくる。
それがいつも脳裏にあるから、「ああ、開高さんも多分こうやって取材していたんだろうな」とか、「近藤さんならどんなふうにアプローチしたかな」と考えながら取材しています。
――これから先、今度は三浦さんの作品を読んだ若い書き手が、同様に影響を受けることもありそうです。
影響と言えば、最近とても驚いたことがあります。1994年のちょうどルワンダ内戦の後、共同通信のアフリカ特派員で沼沢均さんという方が、ケニアからコンゴに向かう途中、乗っていたチャーター機が墜落して死亡しているんです。
沼沢さんは3年間ぐらいアフリカ特派員をしていて、日本に帰任間際だったんですが、死後、『沸騰大陸』と同じような本を出しているんですよ。
――同じような本を?
そうなんです。『神よ、アフリカに祝福を』(集英社、1995年)という本なんですが、今読み返してみると、本当に『沸騰大陸』とそっくりなんです。
それはご本人が帰国したら本を出そうと思って、ワープロの中に原稿を書きためていたのを事故後、当時共同通信のデスクだった辺見庸さんらが見つけて書籍化したらしいんです。辺見さんは『もの食う人びと』のアフリカ取材で、沼沢さんとつながりがあったそうなんです。
もちろん、僕もその本をアフリカの赴任前に読んでいて、先日たまたま、沼沢さんが亡くなって30年という節目で、当時の同僚などが故郷の青森市にお墓参りに行くというので、同行させてもらいました。
その際、『神よ、アフリカに祝福を』を久しぶりに読み直したんですが、自分でもビックリするくらい『沸騰大陸』と手触りが同じだった。
30カ国ぐらいをめぐるルポで、ひたすら現地の人々の生活を書いている。あまりに共通点を多くて、読んでいて「ゾーッ」とするほどでした。『神よ、アフリカに祝福を』という作品をかつて読んで、こういうのを書けたらいいなという思いがどこかに残っていて、それに引っ張られる形で『沸騰大陸』ができたんだな、と。沼沢さんが僕の中に確かに「いる」。僕も新たな世代の書き手へ何か残すことができれば、嬉しいです。