あなたの「赤」と私の「赤」は同じか違うかがついに判明 / Credit:clip studio . 川勝康弘
赤いリンゴや赤い信号、赤い夕焼け──私たちは日常的に「赤」と呼ばれる色を当たり前のように見分け、言葉を交わしています。
でも、「私が見ている赤」と「あなたが見ている赤」は本当に同じなのでしょうか?
この素朴な疑問は、実は意識研究の世界では長年にわたって議論されてきた大問題です。
なぜなら、外からは同じに見える刺激でも、人の頭の中で起こっている主観的な色体験が同一だと証明するのは極めて難しかったからです。
ところがこのたび、東京大学や英インペリアル・カレッジ・ロンドン(ICL)、豪モナシュ大学などの国際研究チームが、色の「類似度」をもとに人々の主観的な“色の構造”を比較する大胆な手法を開発し、大規模なオンライン実験で「私の赤」と「あなたの赤」の違いを初めて定量的に示すことに成功しました。
私たちはどこまで同じ“赤”を共有できるのでしょうか?
研究内容の詳細は『iScience』にて発表されました。
目次
そもそも「他人の赤」を比べるのは無理なのか?過去の限界への挑戦私の「赤」はあなたにも「赤」だった色覚異常の人は異なる場合がある
そもそも「他人の赤」を比べるのは無理なのか?過去の限界への挑戦
そもそも「他人の赤」を比べるのは無理なのか?過去の限界への挑戦 / Credit:Canva
「私たちは同じ刺激を見ているのに、頭の中の体験は本当に同じなのか」。
この問いは意識研究の中心的なテーマの一つであり、こと色覚の領域では「赤」と呼ばれる色を人々が同様に経験しているのかが長らく議論の的になってきました。
なぜなら、赤色という物理的な光の波長は同じでも、脳内で生じる主観的な色体験がほかの人と一致しているかは容易に証明できないからです。
一部の哲学者は「主観的感覚(クオリア)は本来、他者と比べることさえ不可能」と主張します。
一方で心理学や神経科学の分野では、色の認識や行動実験データなどを定量化して比較するさまざまな試みがなされてきました。
たとえば、脳画像データや行動実験の結果から「類似度行列」を作り、それらを統計的に比べる手法としてよく使われるのがRepresentational Similarity Analysis (RSA)です。
通常は「赤い刺激なら赤い感覚に対応しているはず」という前提が暗黙に含まれているため、もしも誰かの“赤”が他の人の“緑”に相当していても、それを見落とす可能性があります。
そこで最近は、色の名前や波長などのラベルに頼らず、「あくまで人が感じた“色同士の類似度”だけを手がかりに、どこまで構造を一致させられるか」を探るアプローチが注目されはじめました。
このようなアプローチは、心理学だけでなく最適化手法など計算論の世界と融合することで、より柔軟かつ精密に「主観のマッピング」をすることを狙ったものです。
研究者たちは、こうした理論を現実に応用できれば、刺激単位ではなく「感じ方」に注目して、他人と自分の主観的世界を比較する新たな道が開けると考えています。
そこで今回、研究チームは典型的色覚とcolor-blind(色盲)などの色覚特性が異なる人の両方から大規模にデータを集め、ラベルに頼らない無条件(unsupervised)の最適マッチングを導入することで、「そもそも同じ赤が赤に対応しているのかどうか」を問い直す壮大な実験に踏み切りました。
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私の「赤」はあなたにも「赤」だった
私の「赤」はあなたの「赤」と同じだった / こちらは各個人がどのように色を感じるかという主観的な体験(クオリア)をどのようにして数値化し、さらにそれらの体験の「構造」を比較する全体の流れを示す図です。 まず、左側の部分では、各参加者に「この色とこの色はどれくらい似ているか」といった感覚を報告してもらい、その回答から各自の色体験がどのように配置されているかを「クオリア構造」として抽出します。ここでは、実際の色の名前や物理的な波長ではなく、あくまで「似ている・似ていない」という主観的な感覚が重要です。 次に、右側の部分では、こうして得られた複数の個人のクオリア構造を、外部のラベル(「赤」「青」など)に頼らずに、内部の類似関係だけをもとに合わせる(アラインメントする)手法が示されています。つまり、たとえばある人のクオリア構造において「赤」がどの位置にあるかと、別の人のそれがどこにあるかを、自動的に最適な対応関係としてマッピングし、両者の体験の共通性や違いを定量的に評価するという流れです。 この図は、従来の「赤は赤」と決め打ちして比較する方法と比べ、主観的な感覚そのものに基づいて色体験を比較できる新しいアプローチの全体像を直感的に理解できるように示しているのです。/Credit:Genji Kawakita et al . iScience (2025)
今回の研究では、まず「93種類の色」を用意し、オンラインで数百名もの参加者から「この色とこの色はどのくらい似ているか」を回答してもらいました。
具体的には、画面上に2つの色パッチ(四角形)を提示し、「とても似ている」「あまり似ていない」などの感覚をスライダーや選択肢で答えてもらう形式です。
これをランダムに選んだ複数の色の組み合わせについて繰り返して集めることで、「色と色がどれだけ似ていると感じられるのか」を、大規模にデータ化しました。
参加者は大きく2つのグループに分かれています。
1つは典型的色覚を持つ人たち、もう1つは色覚異常(色盲など)と自己申告した人たちです。
後者のグループについては、いわゆる「イシハラ検査(数字がドットで描かれた色覚テスト)」をオンライン版にアレンジしたものを使い、本当に色覚特性が異なるかを確認しました。
こうすることで、典型的色覚だけでなく、red-green(赤と緑)の見え方が独特な人など、多様な色感覚を持つ参加者のデータを集めることに成功しています。
実験のユニークな点は「93色もの多彩な色セットを使い、しかも一人ひとりに全ての色の組み合わせを答えさせるのではなく、クラウドソーシングを活用して多数の人から少しずつ回答を集め、最終的に膨大な組み合わせを網羅的にカバーした」ことです。
一人あたりに課す負担を減らしながら大量の比較データを得られるため、それらを集約することで各グループの「色と色の距離(類似度)」を表す構造を推定できるわけです。
そして、この「構造」を比較するために使われたのが、数学的には「最適輸送問題(Optimal Transport)」と呼ばれる手法です。
この最適輸送問題を用いた手法では、参加者が各自で感じた「似ている・似ていない」という感覚だけをもとに、色どうしの関係性(すなわち主観的な距離)を計算します。
これにより、たとえばある人は「赤」を強く感じ、別の人は微妙なニュアンスとして別の色と近いと感じる場合でも、その違いがデータとして現れやすくなります。
また固定されたラベルに依存せず、各人の内面的な体験そのものを反映した形で色の類似性を比較できるため、従来の方法では捉えにくかった微妙な違いや個人間の多様なバリエーションを、より柔軟かつ精密に明らかにできるのです。
つまり、あらかじめ「赤は赤」と決め付けるのではなく、各人の感じたままの体験をそのまま比較できるので、これまでの方法では捉えにくかった細かい違いや、個人ごとの多様な感じ方を、より柔軟かつ正確に明らかにできるのです。
結果、同じような色覚特性を持つ人々の間では「赤は赤」に対応する割合が非常に高いことが明らかになりました。
つまり、ほぼ同じ感覚の“赤”を共有しているらしいのです。
一方、典型的色覚と色覚特性が異なる人を比べると、赤と緑などの関係がうまく対応しないケースが目立ちました。
つまり、“赤”と呼ばれる色の体験が、典型的色覚を持つ人の考える「赤」とはかなり異なる位置にある可能性が示唆されます。
これは「色覚自体が大きく異なる場合、同じ波長の光でも人によって主観的な配置が変化することがある」という発想を裏づける結果といえます。