「作られた横綱」「昇進は時期尚早だった」ヒートアップする新横綱・豊昇龍への批判が前代未聞といえる理由

横綱には選ばれた力士しかなれない

一般的に横綱昇進というのは「実力だけではどうすることもできない」と言われている。たとえどんなに強くても、同じ時代に突出した実力の力士がいれば、横綱昇進の条件を満たすことが難しいからだ。

横綱昇進の条件も時代によって変化することもあり、実力十分でも予期せぬケガをすることもある。ライバルになり得る力士が一時期に複数現れることもある。

だからこそ、横綱には選ばれた力士しかなれないという見方もある。豊昇龍はその見方で言えば、選ばれた力士なのだ。だが、選ばれたがゆえに今、大きな試練に直面している。勝つことも、勝つこと以上のものも求められる中で試行錯誤を繰り返し、まだその壁を乗り越えられずにいる。

もしこれが大関や関脇であれば、同じものが求められただろうか?

立ち合いで変化をしても、張り差しをしても、ある程度その力士の個性として消化されるだろう。

だが、横綱はそうはいかない。

だからこそちょっとしたことが揶揄や批判に結びついてしまう。「作られた横綱」としての批判も、強さを見せれば忘れられることは間違いない。横綱昇進の経緯を見ていると気の毒に感じることもある。ただ、同情などされぬほど超越した存在が横綱なのだ。

つまり、豊昇龍はこれから心技体ともに横綱になっていけるかどうか、来場所以降に注目が集まる。

横綱という地位に潰されるのか、育てられていくのか。これからの豊昇龍に期待したい。

文/西尾克洋